2008年12月19日金曜日
花一匁
かつて口減らしがおこなわれた貧しい農村から子供を買い求めるとき、「花」(女児)一人につき金一匁が支払われたそうだ。匁(もんめ)は尺貫法の重さの単位で一匁は一貫の1000分の1の3.75gだそうだ。
「花一匁」にはそんな哀しい一説があるのだと読売新聞「編集手帳」より知る。
少し前になるが映画「闇の子供たち」という映画を見た。副題は「値札のついた命」。
タイで行われている、臓器移植を目的とした幼い子供たちの人身売買や幼児売買春を描いた作品。 内容はあくまでフィクションである。そう、フィクションであるのも関わらずその映画の訴える社会性が今もずしりと心に残る。実はこの映画を見てから何度も何度もこのブログに取り上げようとしたのだがその度に削除を繰り返した。うまく文章にならないのだ。
バンコク国際映画祭での上映が中止された事で私を含め、むしろ映画を見た人にフィクションをノンフィクション化させてしまったのではないだろうか?
そして反政府派のボランティア団体による空港占拠とソムチャイ政権崩壊、その後の民主党アピシット新政権の誕生など、映画の背後にあるタイの社会事情がそのまま現実と重なり、益々重く心の中に鉛球の様に重く沈みこむ。
今年の世相を反映した漢字として「変」が選ばれたそうだ。オバマ氏も「Chenge」と叫ぶ。
時代遅れの「匁」と言う漢字も常用漢字表から削除されるそうだ。哀しい現実は遠い昔と呼べる時代へと変わっていけばと思う師走の今日この頃だ。
2008年12月17日水曜日
朝の一時
慌しく朝食の準備や子供の弁当を作りながら、又店のケーキを焼きながら聞くラジオはキッチンの狭い空間が社会と小さな扉でつながっている気持ちにさせられる。
朝刊の主なニュースを読み上げ佐藤さんの少し惚けたコメントも楽しい。季節に合わせた選曲も悪くない。
さてカリフォルニアからの久々のクリスの来日に始まって、先週は何故か海外から懐かしい人達が続々と戻って来る週だった。アメリカ、イギリス、オーストラリア。
久しぶりとは言ってもお互いそんなに時間の経過を感じない。ラッシュライフは何故か時間が止まってしまっている異空間で非現実的な所があるらしい。
懐かしいと言えば、私が高校生だった頃に時々行った喫茶店「ルオー」のお姉さんも来て下さった。
授業をサボって、或いは放課後ぶらりと行く「ルオー」は高校生にとってはまさしく非現実の非日常、そんな不思議な時間が流れている喫茶店だった。
隠し味に醤油の入ったカレーが絶品だった。
音楽はジャズのレコードが流れていて、何故かローランド・カークの銅像が置いてあった。(ルオーはジャズ喫茶ではありません)
先日来られた時にあの銅像が今もあるのか尋ねた所、「そんなモノがあったかな?」と。そして今は無いしどこにいったのかも分からないとの事。・・少し残念。でもあの頃憧れだったルオーのお姉さんに来て戴いて、今はカウンターの中と外が逆になってしまったが、お姉さんにとってラッシュが非日常の空間に感じてもらえればと願っている。
今年のお正月休みは海外ではなく近場の温泉旅行が人気らしい。佐藤弘樹さん曰く「お金が無ければ話をするだけでも十分楽しめる」らしい。確かに同感。
ジャズのレコードを聴きながらコーヒーを飲んで400円で海外旅行にも勝る非日常とは随分お徳では?
2008年11月25日火曜日
ズッコケ中年三人組
出町周辺も随分多かった。まるで大文字か鞍馬の火祭り並みの人だかりだった。
この紅葉シーズンが過ぎると12月半ばからはラッシュライフは氷河期に突入する。正月に少し解凍しても又3月いっぱいは冬眠せざるを得ないと言うのが例年の事だ。
今年の不景気が歳を越えて持ち越し、来年どういった形で現れるのかは想像がつかない。
「ズッコケ三人組」と言う小学生の推薦図書ベスト10には必ず入る本がある。
オッチョコチョイのハチベエ、天才肌のハカセ、のんびりやのモーチャン。花山第二小学校6年1組のズッコケトリオが色々な難題を解き明かすちょっとほのぼのとした物語だ。
1978年の1作目から2004年の「ズッコケ三人組の卒業式」で全50巻で完結。私自身は子供の頃には読んでないが息子達が小学校時代にはやはり何作かは図書館で借りて読んでいたので私もついでに読ませて戴いた記憶がある。
そのオマケとして「ズッコケ中年三人組」が2005年に発刊されていた。少しおもしろそうなので読んでみた。小学生だった三人は40歳になりコンビニ店長、中学教師、ビデオショップのアルバイト店員として何処となくうだつの上がらない三人組となっているのだが、当時未解決の怪盗Xからの挑戦状で事件との関わりを通して再度ズッコケトリオが活躍すると言う内要だった。中年らしく(?)酒を飲んだり飲み屋のママさんと浮気を試みたりといった所が中年の象徴らしく出て来るが、失敗に終わる所がズッコケらしい。決してきわどい内要にならない所に「ズッコケ」ファンを裏切らない様にとの気配りを感じるが、正直、大人のズッコケとしてもう少しきわどい場面が出てきてもコレマタ面白いのではと少々期待はずれの感もある。
今日はアメリカから懐かしいお客さんがやって来た。
19年前に店によく来ていたクリスと言うアメリカ人が日本人の奥さんと二人の可愛い娘さんを連れて尋ねて来てくれたのだ。
19年ぶりに会うと当時は全く話せなかった日本語を喋り、ヘビースモーカーが15年前に禁煙に成功していた。カルフォルニアで測量の会社を興し毎日忙しく仕事に追われていると言う。
当時30歳代の彼は食いつなぐ程度に英会話教室の講師の仕事をこなし、仕事前にはラッシュライフでコーヒーを、その帰りにはビールを美味しそうに飲んでいた。
ズッコケとは裏腹に中年クリスは実に素敵な父親であり素敵な実業家となり私達の前に現れたのだ。
ただ、当時を懐かしく想う事はその気楽な生活ぶりをも懐かしむ様で、これは「ズッコケ中年三人組」の中に出て来るモーチャンのせりふ、「あの頃が一番楽しかった」と言う所と少し重なる。
今後「ズッコケ老人三人組」たるものが出るかどうかは不明だが、時々ラッシュの懐かしい顔ぶれに出会える事が長年店をやっていく上で一つの楽しみでもある。
目前に迫るラッシュの氷河期も足音偲ばせやって来る不景気をも乗り越えてズッコケ老人三人組の歳まで継続出来ればと願う所だ。
2008年11月7日金曜日
黒人がホワイトハウスの主(あるじ)になる事は「起こり得ぬ事の代名詞」とされてきた。起こり得ぬ事を可能にしたアメリカの変革に敬意を示す。
根強く残る人種問題に今後どの様な変化が現れるのかが楽しみだ。
アメリカの場合は国民投票で選ばれる大統領だからなのか、一旦選ばれればその方針や指針に従順について行く様に思える。それ故に暗殺の危惧も言われるのかもしれないが、一方日本の総理はと言えばトップであっても足を引っ張られる心配ばかりで統制が取れない、舵取りの難しさが傍から見てても伺われる。
これは妬みや嫉妬心の強い日本人の気質によるものなのか、暗殺の心配は無くともコロコロ変わる総理大臣はあまりかっこ良いモノではない。
このままではいけないというアメリカの危機感が「起こり得ぬ事」を可能にさせたのか、スーパーマンやスパイダーマンの様なサプライズなヒーロー好きのアメリカらしい発想で、そんなサプライズな大統領に新たな政策を期待しているのかも知れない。一方、それほどまでの危機感に不安を感じたのか株価は再度9000円を割り、1ドル97円と円高が進んだ。
今後オバマ氏率いるアメリカの政策がアメリカを、日本を、世界をどう変えていくのだろう?
そして日本はアメリカについていくだけの今までの政策から独自の改革と政策を示していける国造りを目指すべきだと思う今日この頃だ。
2008年10月14日火曜日
物理学的な事
7月に始めたばかりで、おまけに上賀茂コンサートにかかりきりだった為、練習不足で先輩方々にも相当心配をかけたが、何とか間違うこともなく無事できてよかった。
ふとしたきっかけで始めた「なぎなた」だが、やり始めると実に奥が深い。
元は女性が自身の身を守る手段として考案された武道だから、剣道に比べて竹刀(剣)は長く、その分動き自体は少ないが、長い剣を振り回すのに梃子の力や遠心力を応用した技が殆どだ。先生に一つ一つの技を教えて戴きながら実に理にかなった物理的な動きだと関心する。
そう言えば柔道や空手などの武道でも小さな体の選手がその何倍もある大きな人をなぎ倒せば醍醐味を感じるが、それも又物理的な動きの応用だ。
そう言えば今年のノーベル物理学賞に3人の日本人が選ばれた。
内容的な事はチンプンカンプンでただただ凄いなーと関心するばかりだが、昔から日本人には物理学が生活に密着して根付いているのかも知れないと、ふと思った。
ところで普段の生活の中ではと考えるとあまり実践も応用も成されていないのが現状で、日々バタバタと動き回り無駄の連発。この辺りがうまく立ち回る事が出来れば我が家のノーベル賞モノになれるのだろうが・・・。
2008年10月11日土曜日
万歳!
一日目の土曜日での演奏は、「これがオレのバンドのベーシスト、アレックスだよ。ほら凄いだろ?」と、まるで息子を自慢する父親の様に誇らしげにバッキングするランディとアレックスの共演が楽しかった。
そして二日目は最初のピアノソロも長く、そしてデュオ演奏も息のバッチリ合った素晴らしいモノだった。
終わってみれば嵐の去った後の様にポカンとしてしまう。まさしくエンプティネスト症候群状態。
まあそれも良いだろう。
世間じゃ株価が大暴落して大変な事になっているとか。これから益々不景気になって世界恐慌がやって来るとか。
でももう少しランディの余韻に浸っていよう。きっとそのエネルギーが力となって動き出す時が来るだろうから。
ランディ・ウェストン、アレックス・ブレイクに万歳!!
2008年10月2日木曜日
本日18時頃 NHK 関西ニュースで
82歳とは思えないパワフルなピアニスト、Randy Weston.
3年ぶりに訪れたラッシュライフを懐かしそうに、そして嬉しそうに見回していた。
今回同行のベーシストAlex blakeに何やら自慢げに説明していた。
さあ、明後日は上賀茂神社コンサートの初日だ!
本日の18時頃のNHKの関西ニュースでRandyのインタビューとピアノ演奏を少し放送します。
是非見て下さい。
2008年9月12日金曜日
あれから7年、そしてあと3週間。
そして同年、上賀茂神社での初めてのコンサート企画を持った私達はそのテロから1ヶ月後にコンサートを控え、コンサートが中止となっても致し方ないだろうと頭の片隅で考えていた。事実、その年に海外からのアーティストを招いて企画されていた多くの催しが中止になった。
そんな中、何の揺るぎも無くアメリカからランディ・ウェストンはやって来た。来日を中止にする事など一度も考えなかったと彼は言う。
出町柳の駅前に停まったタクシーから出てきたランディを初めて見た時、「何て大きな人だろう!」とただただその大きさに圧倒された。小人の国にやって来た巨人の様にラッシュライフがオモチャの店に思えた。
そして彼のピアノ演奏はその体の大きさ以上に驚くべき演奏だった。これにも又圧倒された。
コンサート会場である築500年の木造建築、上賀茂神社の中にある「庁ノ屋」がランディのピアノで建物全てがまるでその音を待っていたかの様に鳴り響いた。
地獄の底から這い出る様に、そして真っ直ぐ天に向かって突き進む様に。彼の演奏はその会場にいた人全てを従えて大きな巨体に先導して行く先を示してくれている様だった。
もうすぐ又そんなランディに会えると思うとそれだけで胸が苦しい。そして今年はアレックス・ブレイクというコレマタ恐るべきベーシストとのデュオで楽しみも倍増だ。
ランディ来日まであと3週間!出来るだけ多くの人にこのコンサートは見てもらいたいものだ。
9月13日 19:30~ ジャポニカ(寺町御池上がる西側)にてランディ・ウェストン ドキュメンタリー番組上映会 500円1ドリンク付き
10月4・5日 京都上賀茂神社コンサート 詳細は http://www.lushlife.jp/randy08/randy08.htm
10月7日 京都国際交流会館 ランディ講演会 詳細は http://www.lushlife.jp/randy08/lecture08.htm
2008年8月28日木曜日
アフガニスタンからの悲しい知らせ
「アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に戻すお手伝いをし、子どもたちが将来食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています。」
これは彼が現地で働く前に語った志望動機の一部だ。
親なら誰しもが思う我が子の幸せ、その子がおなかいっぱい食べられる事がどれ程幸せか。
そんな親が子を想う様な愛情の詰まった国造りを目指し、アフガニスタンに捧げた彼の志が尊い。
彼の想いは日本人としてではなく、同じ人間としての想いだったに違いない。国境も宗教も政治も無関係の働きである。
そんな伊藤さんがもし日本人であるから殺されたなら、その犯人に聞きたい。あなたは何が幸せだと言うのかと。
2008年8月6日水曜日
ラッシュ・ライフの夏休み
ラッシュ・ライフの夏休みです。
海外は行きません。県外(まいどの滋賀県)に行きます。
大阪から6歳の可愛い甥っ子が遊びにやって来るのです。さてさて、今年は流れ星見えるかな?
村上春樹風にやれやれ、と
15歳、これ位の歳の子には珍しくもない一度は通る道みたいなモンで息子は中学の時にギターをやりだした。今はベースに転向。高校に行けば軽音クラブを作って新しいメンバーなんかも何人か交えてバンドを組むのを楽しみにしていた様だ。しかし息子が選んで行った学校は農業高校。音楽やりたくて行く学校ではなかった、と言う事は入学前には分からなかった様だ。
それなら学校の休みの土日祭日だけを練習日にすれば良いだろうとか、いっそ3年間は諦めて卒業してからにすれば?などと言ってはみたものの息子も融通の利かない性格。それと同じ位この農業学校もダメだと言えば絶対にダメだと言って軽音クラブ結成は何としても許可が下りなかった。理由は「楽器の音が牛のストレスになるから」と。
農業を志す事はそんな生半可な気持ちでは出来ないって事なのだろう。ギターをチャラチャラ弾きながら出来る程甘くないんだぞ。って。
夏休み前、息子は農業高校を辞め来春再受験をする事を決めた。
午前中を勉強時間に、午後からベースの練習時間にあてている。しかしながら周りの同級生は高校1年生。遊びの誘惑もなかなか多いし、二度目の高校受験はどうも親子共々気が抜けて気合不足が正直なところだ。
やれやれ、どうなる事やら・・・?
2008年7月18日金曜日
2008年7月15日火曜日
チケット販売開始
もう5回目になる上賀茂神社のコンサート企画だが、毎回ハラハラ・ドキドキの連続だ。あと2ヶ月半、2日で500席のチケットが売れるかどうか、コンサートが終わるまでこのドキドキは続くのだ。実に精神状態には悪いと思う。最近では「ああ又か」とコンサートの風物詩的になってしまったのだが、この企画の最中には必ずと言って良い程夫婦離婚の危機も訪れる。全く厄介なのに何故か又やりたくなってしまう、不思議な現象だ。
コンサートスタッフは店の常連客を主にしたボランティアスタッフで、大工、電気屋、印刷屋、デザイナー、ライター、建築家などなど持ち前の特技をフルに活用していただき成り立っている。しかも無料奉仕で働いてもらっているにも関わらず、コンサート当日はスタッフ(私も旦那もだが)全員が他のお客様同様にコンサートをチケットを買って入場するのだ。時々、タダでコンサートを聴きたいがばかりに「スタッフさせて下さい」と申し出る不届き者がいるが、ラッシュのスタッフはそんなに甘くはないのだよ。と言わざるを得ない。
しかもコンサートが近づくと皆がピリピリと神経が張ってきて、多少のヘマにも怒声が飛ぶから、本当に好きでなければ「やってられんわ!」となってしまうのだ。
今回はアレックス・ブレイクというベイシストとのデュオコンサートだ。ランディバンドで常に共演しているのでCDやDVDでは見たり聴いたりしているが、はっきり言ってスゴイ!脅威的、ベースって打楽器!?と思わず叫んでしまいたくなるベイシスト。実際に見ればきっと腰を抜かすかも・・・。10月の上賀茂コンサートは必見だ。7000円のチケット代は計画的に今から積み立てて下され!
2008年7月7日月曜日
発展と伝統
道着を着用していないのは私と小学5年生の女の子だけで、「早く袴をはきたい」と言うのがこの小学生の願いだ。剣道でもなぎなたでも弓道でも武道というやつは、まずはその道着の袴スタイルに憧れるものなのだ。
しかし剣道の経験のある私は知っている。道着だけならまだしも、その上に着用する面や胴や小手などの防具というやつは重いし動きにくいし、夏は暑い上に蒸れてたまらん臭い!そして冬は体育館(道場)の床を素足で練習するので足の裏がジンジン冷えるのだ。
オリンピックの水泳競技では選手の着用する水着で記録が随分変わってしまう事が先月頃に話題になった。イギリスのスピード社の水着と国産の水着では記録に差が出るらしいのだ。
ミクロの世界で新技術を開発し、研究し続ける技術者の努力があってこそ発展があり、選手の技術とのコラボレーションで記録の更新が生まれるのだろう。
方や武道は発展ではなく伝統を重んじるスポーツだ。武道そのものの発展も道着や防具の発展も見られない。よって何十年、何百年もの歴史が移り変わろうとも夏は暑く、冬は寒く、又たまらなく臭く、動きにくいスポーツなのだ。これは今後も変わらず続くであろう。しかし良くも悪くも変わらない伝統が何故か落ち着くのは何故だろう?ミクロの世界での技術開発には無縁だからなのかもしれない。
とにかく、暫らくの間はジャージ姿で長刀を振り回す事になる。いったいいつまで続くやら・・・?
2008年6月27日金曜日
エコな話
車にはどちらかと言うと無頓着で出来れば乗らずにすむならそうしたいと常々思っているのだが、いざ手放すとなると何だか愛着を感じてしまう。不思議なものだ。
それにしてもここ最近のガソリン代の高騰でコロナはいくらなんでも燃費が悪い。エコじゃない。そこで軽乗用車に乗り換える事を考えている。おそらくそんな人が多いのか、軽の中古車相場も高騰しているとか。何だか何がエコなのかも解らない。
さて、トップページでも案内させていただいたが、10月の上賀茂神社ランディ・ウェストンのコンサートがトリオからデュオに変更になった。
変更に至った経過は話せば長くなるので簡単に説明すると、ランディ本人が上賀茂神社のコンサートはトリオよりデュオの方が良いと断言した事なのだ。それなら何故最初からそう言ってくれなっかたのか?と言う疑問が残るのだが、兎に角ランディ本人が良いと言うならその方が良いに決まっているのだ。
ピアノがランディ・ウェストン、ベースがアレックス・ブレイク。この二人のデュオに決定だ。
演奏が2人より3人の方が良いと言うのであれば一般的だが、3人より2人の方が良いと言うのであればこれはかなりエコな話だ。
最高のステージを作り上げる為、スタッフ一同最善を尽くすのみだ。
2008年6月10日火曜日
歌は生活の匂い
あの頃は我が家同様に学生さんがいる家からはギターを掻き鳴らし大声で歌う歌声と、時に「うるさい!何時やと思ってんね!」と言う近所のいかついおじさんの怒鳴り声が響いたりといった事も珍しくは無かった。それでもその歌声を聴けば、実際に親しく話す機会が無くともそこに住む人の趣味や性格が何となく想像がつく様に思える。
カラオケボックスの出現で近所のおじさんに迷惑をかける事は無くなったが、同時に家の中から洩れる生活臭も無くなった。これはテレビゲームで遊ぶ子供が増えて、外でドッチボールや缶蹴りをする子供が居なくなった事とほぼ同時期ではないだろうか?子供から大人までもが機械に遊んでもらう時代、人間が人間臭くなくなって無機質な存在になってきている。他人の痛みが解らない利己的で人間付き合いの出来ない者が起こすのだろうか?いやな事件が近頃は多すぎてやるせない。
生活の中に歌を取り戻そう!歌は私達の生活の一部なのだから。
今月6月29日、大阪いずみホールにて兄のコンサートがあります。http://plaza.rakuten.co.jp/chaki/7002
あの頃はギーターを片手にフォークソングだったのに、何と今ではドイツ歌曲だそうです。妹の私が言うのもナンデスガ、とても繊細な美しい歌声です。お時間のある方は是非聴きに行って下さい。
2008年5月18日日曜日
音楽のもつ治癒力
40分間のドキュメンタリー映像で、ランディ氏が話す言葉をコンサートスタッフである山田君が和訳してくれた。字幕の付いていないこんなDVDは、彼の様な人がいないと英語力の無い私などはチンプンカンプンでとうてい理解できない。まずは山田君に感謝する。
衣食住は人間が生きていく上で最も大切なモノとされている。もしその次にと聞かれれば、それは音楽なのかも知れない。音楽は衣食住ほど直接的に人に働きかけないモノの様に思われがちだが、例えば最悪の状況で生きる希望を失くし掛けた時に音楽は勇気と希望を思い出させてくれる。音楽にはそんな治癒力があるのだ。かつてアメリカで黒人奴隷が過酷な労働をブルースを歌いながら乗り越え、理不尽な人種差別を受けながらも多くの素晴らしいジャズが生まれた様にランディ氏には確信を持って言える事があるのだ。音楽には人々に勇気と希望と安らぎを与える治癒力があると。そして今その事を彼は彼の音楽を通して伝道していく使命を感じていると言う。
このDVDはランディ氏の生い立ちから始まる。彼の父が言った言葉「お前はアメリカ生まれのアフリカ人なのだ」と言う事、最初にピアノを習った先生から「金の無駄使いだからピアノは止めた方が良い」と言われた事、コールマン・ホーキンスのレコードを通して多くのミュージシャンを知っていった事、カウント・ベーシー、ナット・キング・コール、アート・テイタム、セロニアス・モンク、デューク・エリントンなどのピアニストに影響を受け、又あまりにも身近にそれらの偉大なピアニストがいた為に29歳になるまでプロデビューが出来なかった事、そして彼の関心は祖国アフリカへと続く。
1961年にアフリカに渡り、3年間のクラブ経営と演奏、そしてモロッコでの大フェスティバルと多額の負債、又その後のアルバム「ブルーモーゼス」の大ヒットで負債が無くなりはしたものの一文無しとなってしまった事。その状況にあっても彼がアフリカで得たものは偉大であり彼の音楽や生活全てにおいてお金には代えられない貴重な体験がアフリカにはあったと。
美しい音楽、これは演奏がうまいとか下手という事ではなく、人々をどれ程幸せにするかという事なのだ。これは魂がどれ程こめられているかとも言えるのだろう。
ランディ・ウェストン 彼の奏でるピアノはそんな魂のこもった美しい音楽である。世界遺産の上賀茂神社で最高の演奏を聴ける日が待ち遠しい。
2008年5月9日金曜日
余呉湖と三橋節子さん
母と三橋節子さんは鴨沂高校バトミントン部の先輩後輩の関係で、亡くなられた時はまだ30歳代だったのではないだろうか。幼い子供を残しての無念の死だったと思う。そんな縁で彼女の展覧会には幾度と無く出向き、いつしかその画風が大好きになった。
先日ゴールデンウェーク最終日の5月6日に余呉湖に皆でサイクリングに行ってきた。
快晴のサイクリング日和。琵琶湖湖北は野鳥の宝庫でその鳴き声を聞きながら自転車を走らす。余呉川の川辺に咲く草花が可愛らしく風に揺れる。
余呉湖と言えば古戦場として名高い賤ガ岳だが、私にとってこの辺りの風景はまさしく三橋節子の絵画だ。絵の中にすっぽり飛び込んでしまった様な気持ちになる。
ウッディーパル余呉と言う町営のロッジを借りてバーベキューに舌鼓。子供も大人も大はしゃぎの一日だった。
志を持ち、自身の信念を貫いた人生は人に感動を与えるのか、あれから30年以上の月日が経った今でも私はサイクリングの度に三橋節子さんに出会った気持ちになれるのだ。
2008年4月27日日曜日
ラッシュライフからのお知らせ
於:イタリア会館B1 ルームマーケットhttp://www.roommarket.jp/room_map.htm
今年の10月4、5日にマタマタやって来るランディ・ウェストンの上賀茂神社コンサートに先立ち、彼の最新ドキュメンタリーDVDを見る会を行います。
今年のお正月に彼に会われたTさんが直接受け取って来られた未発表のDVDです。
今年で82歳になるランディが「残り少ないジャズの歴史の生き証人として、頑張らなければならない!」と大変使命感に燃えていると、帰国後Tさんからお聞きしていました。その言葉通り、 このDVDには彼が伝えていきたい多くのジャズのエピソードが語られています。
今回はコンサートスタッフの山田君が和訳して彼の言葉で熱く語ってくれます。
是非お時間のある方は見に来て下さい。お待ちしています。
尚、この日は17時頃にはラッシュは閉店します。すみません!
2008年4月20日日曜日
洗濯小物干し
洗濯小物干しとは、靴下や下着を干す時に使う洗濯バサミがいっぱい釣り下がったアレである。あって当たり前と思う程あまりにも身近にあって、今更ながら「あれは便利だ」と言われれば、「無ければいったいどうして干しているの?」とむしろその方が気になる。そしてこの洗濯小物干しは私の知る限り5年や10年どころではないもっと以前からあった代物。その便利さを認めながらも誰一人自国に持ち帰り商品化する事のない外国人の性質がコレマタ不思議である。
ジャズ喫茶たるモノ、これも日本人が生み出した一つの発明品だ。
本場アメリカなら当然ライブハウスとなる訳だが日本ではそれが叶わない。おまけに当時のレコードは値段も高く贅沢品。旦那がジャズを聴き始めた60年代当初は輸入レコードはデパートの宝石売り場の横に並べられる非常に高価な品物だったそうだ。そんな中生まれたのがジャズ喫茶。新譜レコードを聴きたい人達が我先にとジャズ喫茶に通う時代、一心不乱にレコードにスイングし、レコード盤から流れる音楽に陶酔する。アメリカのジャズの歴史がプレーヤー側の歴史ならば日本のジャズの歴史は聴衆側の歴史だ。勿論日本にもプレーヤー達はいたのだが、数の上では圧倒的に聴き手の方が多かっただろうし、レコードを通して聞き手に文化が生まれる国は他に類を見ないのではないだろうか?
我店ラッシュライフは一見のお客さんも気軽に入って来る店だ。(カウンターだけの為か前まで来て帰ってしまう人も確かに多いが・・・)私語禁止で昔ながらの大音量でジャズをガンガンにならす店では無く、行楽シーズンには観光客や山登り帰りの人達もやって来る。そんな人達にとっても決して耳障りでは無く懐かしさを感じる程にジャズは生活に密着したモノになったのだろう。洗濯小物干し同様、あって当たり前になったのもジャズ喫茶が一つの文化として認められた証なのか?
2008年4月12日土曜日
想定外の出来事
今朝近所のバス停で鞄の忘れ物を発見。見ると現金2万円弱の入った財布、キャッシュカード、デジカメ、i.Pod、手帳などなど大切そうな物がぎっしり詰まった鞄だ。手帳には几帳面に本人の名前やアドレスや電話番号が書いてあったので早速連絡がつき本人の手に戻る事が出来た。聞くと近所の某大学の学生さんで夕べ泥酔してどこに鞄を忘れたのかも覚えていなかったそうで、電話をした時にはその鞄を必死で探している真っ最中だったようだ。という事は一晩中バス停に置き去りにされていたにも関わらず現金もキャッシュカードも無事だった訳で「実に良かったね」と言うと感激して鞄を受け取り、夕刻にはお礼にクッキーを持って再度来られた。たとえ礼儀正しく几帳面な人でも時にはこんな失敗もあるものなのだ。不幸中の幸いで済んで本当に良かった。
今週水曜日から寮生活をしている息子が月に2度の一斉帰省で夕方戻ってきた。寮はどうや?と聞くと「ヤバイよ。軍隊みたいや。」と言う。やたら規則が多く、テレビも無ければ音楽も無い。先生に話しかける時も大声で「失礼します!」と言い、食堂でご飯を食べる時も大声で「いただきます!」と言い、何かにつけて大声で叫ばなくてはいけないそうだ。「ふ~ん」「へ~」「うひゃ~」と話を聞いていると最初強張っていた息子の顔が段々と解れていくのが分かる。修学旅行気分で考えていた寮での生活が思いの他厳しいモノだったのも息子にとっては想定外の出来事だったのだろう。テレビ、ビデオ、ゲームで退屈する事なく遊んでもらい、コンビニに行けば大抵欲しい物が揃う時代だ。それが当たり前の様に過ごしてきた者にとって、コンビニどころか郵便ポストすら見当たらない山奥の学校生活、何も無い所で楽しみは自分で見つけていくものだと知る事が出来るだろうか?今後が実に楽しみだ。
そう言えば、一昨日の夜11時過ぎの事。
旦那が一人で店番している時に英語で電話をかけてくる人がいて「お前ダレや?」と日本語で聞くと渋い声で「abdullah ibrahim」と!英語の喋れない旦那は焦って「ノーイングリッシュや~」と答えたとか。
英語が話せないのは私とて同じなので焦る気持ちは実によく分かる。目の前にいるならまだ身振り手振りで何とかなっても電話は焦る。しかも想定外の相手からの電話には嬉しいけれど困ってしまうと言うのが正直な所だ。
2008年4月4日金曜日
桜満開
これも禁煙の影響か、思考がまとまらず文章もまとまらない。途中で投げ出した編集中のブログが何作も溜まっている。
世間は桜満開。ラッシュの前の桜の木は今年はどの木より早く咲いたので、昨日あたりから早くもチラホラ散り始めている。朝晩はまだ肌寒くストーブが恋しい気温にも関わらず桜が咲き始めると一気に春の到来。来週初めには子供達も高校の入学式だ。制服に教科書に入学金に授業料と随分出費が嵩む。おまけに二人分なのだから、こんな時は双子の親は大変だとつくづく思う。
先日又、近所のラーメン屋の店長がラジオで聞いた一句です。
「金欠病、薬はいらねえ、金をくれ」
まあ、うちに限らず大変なのは何処共にこんなもんでしょう。今日も一日ガンバロウ。
2008年3月28日金曜日
桑田真澄という人
完全燃焼。もう十分に燃え尽きました。そう語る彼の笑顔は清々しい顔だった。野球選手がこの歳まで現役を続ける事は、手術、怪我の治療などで体の方はもうボロボロだろう。それでも最後の最後まで諦めずに「まだ出来る事は無いか。もっと出来る事は無いか」と心身共に戦い抜いたからこその完全燃焼だったのだろう。
「桑田さんにとって野球とは何でしたか?」と言う質問に、「野球は砥石。自分を磨いてくれる道具です。」と話された。
彼の直向きな努力と執念に感動する。そして桑田さんにとっての野球がそうであった様に、何かの媒体を通して自分磨きができたら素晴らしい事だと思う。
ここ数日で陰惨な事件が多発している。いや、陰惨な事件はここ数年、ほぼ毎日の様に日本中の何処かで起こっている。いったいどうなってしまったのだろう?
誰でも良かったと言う無差別殺人。自分をリセットするが為の他殺。
そんなに簡単に自分を諦めるなよ。カップラーメンみたいに3分間では結果は出ないのだから。こんな事件を起こす人に桑田さんのニュースが届けばと願う。
2008年3月19日水曜日
木造家屋
木造家屋の我が家の中はいつまでたっても冷んやりとしていて朝晩は未だにストーブのお世話になっている。毎年の事なのだが家の中に居ると春の訪れを感じにくいのだ。
昨日は定休日で日中自転車に乗って近所の買い物に出かけると半そででも過ごせる程に屋外の気温は高く、冬物のコートや厚手の靴下を履いている自分が随分流行遅れで世間から一人取り残されている様で、「ああかっこ悪いな」と感じてしまった。
少し汗ばみながら買い物帰りに行きつけのカフェに行くと、ガスストーブが暖かな空気を吐き出していた。ギャラリーとカフェを合わせたこの店も木造の一軒屋を改造して作られており、春の訪れが少し遅いのかも知れない。「取り残されているのは一人じゃ無かった。」と変な所で安堵する。
この店の大きなテーブルとまるで裁判官が座る様な肘掛付きのアンティークな椅子は何時間でも居続けてしまいそうなくらい座り心地が良い。優しい店長A氏とガラス細工の人形の様な店員Mさん、そしてカウンターにいつも優雅に寝そべる猫のKちゃんのいる居心地の良いこのカフェで一時を過ごすと又明日から自分の店もがんばれそうな気がするのだ。
早すぎず、がんばり過ぎず程度に。
2008年3月14日金曜日
私の楽しみ
ガスショップだからケーキ材料の販売は主目的ではなく、儲け度外視の低価格販売のため随分助かっている。
その店で先日バターが品切れしていた。こんな事は今までなかったので理由を聞くと、昨年から今年にかけて牛乳生産過剰の為に乳牛を政府の政策で減らしたそうだ。結果、今度は乳製品不足になってしまったそうなのだ。そう言えば近所のスーパーでも近頃バターが品薄だとは思っていたが、まさかこんな事とは思いも寄らなかった。
バター、牛乳、生クリーム等の乳製品はケーキ作りには欠かせない。おまけに小麦粉が値上がればもうケーキ作りも断念しなくてはいけないかも知れない。そんな事にだけはならない様少し工夫が必要だろう。
最初は子供に食べさす為に始めたケーキ作りだが、その楽しさにハマッテしまい、今では店のメニューにも定着し作る楽しみと食べて頂く楽しみがある。
タバコも止めて楽しみが減ってしまった今、これ以上私から楽しみを取り上げられればきっとヒステリー起こして暴れだすだろう。
2008年3月7日金曜日
禁煙
禁煙を始めて二日目の朝、耳の調子がどうもおかしくなった。耳栓をしたみたいで音が聞き取りにくい。耳鼻科に行くと自律神経失調症と言われた。肩こり、寝不足、ストレスなどが原因と言われたが、明らかに私の場合は禁煙から来ていると思われる。禁煙と自律神経はかなり密接な関係がある様だ。
その為かどうも思考能力も低下している気がするし、決断力も欠けている気もする。口が寂しいとやたらと何かを食べてしまう。吸いたくなると寝て忘れ様と、やたら睡眠時間も長い。その為やはり太ってきた。おまけに便秘!・・・禁煙って本当に大変だ。
旦那は「ボケ」が始まったのではないかと心配になる位、話しかけても返答が無い。
そんな二人が店を切り盛りしているのだから、いや、そんな二人でもやっていける位、店は暇な時期なのだ。これは不幸中の幸い(?)だろう。
禁煙するとご飯が美味しくなるとか、肌が綺麗になるとか、階段を一気に駆け上がっても息が切れないとかと色々とその利点は聞くのだが一週間ではまだその効果は現れない。
一緒に禁煙を始めたKさんとHさん。皆で揃って禁煙成功を喜び合える日が来る事を願うばかりである。
2008年2月12日火曜日
我が家のリサイクル
家の中を見回してみても実に買ったモノは数少ない。貰った物や拾った物で十分事足りるリサイクル一家なのだ。
しかし最近は電化製品に限りできるだけ新品を買う様にしている。古い物は消費電力が掛かるらしいしつぶれた時に大型ゴミに出すにもお金がかかるので結果、新品を買う方がお徳という事になるからだ。
さっそく近所の電気店に行ってみたが、うーーーと唸りたくなる程バカ高い!デジタルハイビジョン液晶テレビ・・・こんな高価なテレビを2年半後には日本中の国民が買うのか?買えない者はどないなるんや?テレビは風呂屋に行って風呂上りに牛乳でも飲みながら観る週に一度のお楽しみ、って事になるのだろうか?
結局ぶつぶつ言いながら家に戻ると、知り合いから3年前に購入した冷蔵庫が貰える話がやって来た。我が家の冷蔵庫もコレマタ素晴らしいレトロ品。何故かこんな調子で少しづつ家の中がバージョンアップするのが楽しい。って、結局電化製品も貰ってる!
2008年2月10日日曜日
描き忘れた絵日記
描き忘れた絵日記その①
一時店内でも毒入り冷凍餃子の話で持ちきりだった。
日本人の食料自給率は低下する一方だ。農業に対する日本人のイメージは今もかなり悪い。額に汗して作った作物が天災でダメになったり、額に汗して作った高級果物をごっそり盗まれたり、額に汗して作った米がごっそり古米になったりと、テレビで報道される農家の映像は大抵が辛く苦しい事柄が殆どで農業をやろうと言う人が減って当たり前だ。それでもスーパーに行けば肉も魚も野菜も果物もいつだって手に入る。便利に慣らされた現在、その作物を作っている人がいる事すら忘れがちで気になるのはその値段ばかり。毒入り冷凍餃子を機会にこれからの日本の農業のあり方を改めて考えていく必要があるのではないかと思う。
※そんな中、あの報道の度にテレビに映る餃子を見ては「ああ~餃子が食べたくなる」と言っていたお客さんがいた。がさす!ラッシュのお客さんだ!
描き忘れた絵日記その②
ラーメン店店長S氏 「定年後、妻は私を破門した」って川柳がありますねん。がはは・・・どうですか?日本一貯蓄の無い医者H氏 「私はもう何回も破門寸前の所までいきましたから・・・」
S氏 「妻に破門されて財産も無かったら、後は臓器売るくらいしかありまへんな~」
H氏 「いやいや、ドナーも50歳以上の臓器は使いもんになりませんから価値ナシです。」
S氏 「へ?ほな私はもう何の値打ちもありませんのか?」
H氏 「角膜は使えます」
S氏 「でも綺麗なモンとちごて汚いモンばっかり見てきた角膜では、その値打ちも下りますよねー」
H氏 「角膜はカメラで言えばレンズ本体と違ってそのフィルターみたいな物ですから、見てきたモノは関係ないでしょう」
S氏 「私の価値はフィルターですか・・・?」
H氏 「私もですが。」
窓の外はすっかり雪景色。笑いながら話していた二人も話が進むにつれ何だか寂しい気持ちななられた様子で「あ~もう帰ろ」とそそくさ帰って行かれた。でも美味しいラーメンを作る腕と、病気に苦しむ人を助ける腕があるのだから、それだけでも十分価値は高い。そう内心思いながらも「ふふふ、ブログネタができた。」とカウンターの内でニンマリ。
夏休みの絵日記はやはり毎日描くもの。時間がたてばその時の感動もなにやら薄れてしまう。
ブログも同様、これからはあまりサボらないよう更新していかねば。
2008年1月31日木曜日
寿司屋の策略
惣菜部というのはパック売りの弁当、巻き寿司、握り寿司、ちらし寿司、サラダを加工する所だ。最初に配属されたのが巻き寿司担当だった。
11月にオープンしたこの店が3ヶ月後の節分でパニックにならないはずが無い。
この日に課せられた巻き寿司のノルマは1時間に50本、8時間労働で一人400本を巻く事だった。
兎に角この日は巻いて巻いて巻きまくる。10人程のパートが巻きまくってもこれが又不思議な程売れるのだ。
節分にはその年の恵方を向いて巻き寿司を無言で一本丸かぶりするとその年一年良い年になるそうだが・・・どう考えても寿司屋の策略に思えてならない。日本中の人が一定方向を向かって巻き寿司をモクモクと食べている所を想像すると何だか恐ろしいものがある。
もうすぐ節分。オープン当時ピカピカだった厨房は既に年季が入っているだろう。オープン当時ピカピカだったパートのおばちゃん達同僚もきっと年季が入っている事だろう。
2008年1月23日水曜日
変換装置
N氏自慢のオーディオでレコードを視聴後、有馬温泉に入り、滅多に食べられない様な牛タンに舌鼓、西村コーヒーも飲ませて戴きポートピアホテル16階に宿泊。何十年に一度あるかないかの贅沢三昧だ。
中学を卒業してすぐ仕事を始め、18歳で会社を立ち上げ40歳代で既に500人もの従業員を持つN氏は紛れも無く若い青年実業家だ。
10歳代から20歳代は人にとって何かがむしゃらに頑張れる時だと思う。大抵の人はそのエネルギーを勉強やスポーツに向ける事が多い。目的の到達点を受験に置く学生にとっては志望校に入学する事で既に目的は達せられ、肝心のその先の将来を見失う事も多い様に思う。大学の卒業証書を持っていれば生涯保障付きのサラリーマンになれる、そんな学歴社会は少子化で全学入学時代となり既に終わったはずだ。おまけに入社してもいつその会社が倒産するか又はリストラに遭うかと冷や冷やさせられる時代なのだ。それにも係わらず「受験」と言う切り札を目の前にちらつかせ塾や家庭教師斡旋、高額な勉強教材を売りつけるお受験企業、目が飛び出る程の授業料を要求される私立校は小学生や幼稚園児から子供確保に必死だ。政府は「ゆとり教育は失敗だった!」と一転して国を挙げて小中学生の学力低下を何とか食い止めねばと躍起になっているが、進学塾にとっては棚から牡丹餅の話だ。
何だかね~??と思いながらも勉強嫌いの息子や娘に「受験生なんやからちょっとはまともに勉強せえ!」と言う自分の不甲斐無さが虚しい。
N氏のポルシェに同乗しながら、学歴や学校教育がいかに社会では役に立たないかを再度考える。
むしろ彼はその事を彼自身のエネルギーに変換してきたのかも知れないと、少し無邪気さの残る横顔に垣間見る。エネルギーのある者が持ち合わせる変換装置。
今年の秋、三度目のランディ・ウェストンのコンサートを上賀茂神社で行う。
そのランディと会った方からのメッセージは「昨年、マックス・ローチさんや息子さんが亡くなられ、少しお気を落されていらっしゃるご様子でしたが、だからこそ、残り少ないジャズの歴史の生き証人として、今年で82歳になるが、私は頑張らなければならない!と大変使命に燃えていらっしゃいました。」との事。
ランディ・ウェストン、82歳の高齢でも未だ彼のピアノ演奏は進化し続けている。悲しみもエネルギーに変えてしまう変換装置を彼もまた持ち合わせているのだ。
2008年1月17日木曜日
平成の成人
この記事を書いた記者は40歳。自分の学生時代を思い返せば憧れたのは優等生ではなく大人や社会に立ち向かう様な人だったと言う。又もう少し上の世代ならゲバ棒で権力と闘った世代だ。いずれにしても社会や大人に反抗する年頃と言うのがある時期あって当たり前のはずが、現在はちょっと事情が変わってきている様なのだ。
これは昔に比べ親や教師が優しくなり脅威ではなくなったから。むしろ大人は子供達にとって良き理解者であり協力してくれる存在なのだ。
反抗する若者と言うのは時にはとんでもない事をやらかしかねない。それが無くなり優しい穏やかな男子が増えたのだから社会が平和になった象徴かもしれないが、社会がいつまでも平和である保障は無い。人生の困難に立ち向かい、一家の大黒柱として、これからの社会を作っていく若者として、本当にこれで大丈夫?と少し心配になってしまう。これは我息子を見ていても思う事でもある。
優等生でもなければイケメンでもないので、~王子とは程遠い存在なのだが、多少なりとも骨太な男子になってもらいたいものだが、果たしてどうなる事やら・・・?
2008年1月12日土曜日
ジョージ・ルイス
兄弟は死んだ、今は神のもとにいる。兄弟に苦しみはもうない。悲しみが兄弟の苦しみを振り払ってしまった。未来の時間はずーっと彼らの前にある。喜び、悲しみ、そして十字架と一緒にある。
「帰りは若いやつらを楽しませてやろう!」
これは「ジョージ・ルイス」の一節である。ニューオリンズの葬儀は音楽葬で、墓地への行きは悲しみに満ちたメロディーで、葬儀が終わり帰りは陽気な演奏で行進される。死体が埋葬され会葬者とミュージシャンが墓地を去る時、死者は神の手の内にある、と誰もが知っている。だから帰りは生きている若いやつらを幸せにするほうがいいのだ。
この本はニューオリンズジャズのクラリネット奏者、ジョージ ルイスの伝記「Call Him George]の翻訳本「ジョージ・ルイス」であるが、音楽のみならず彼やその家族の生活そのものを書き記した伝記なのだ。それは彼の曾祖母が西アフリカのセネガルから奴隷船でニューオリンズに連れて来られた時代にさかのぼり、差別、貧困、病気、事故、度重なる家族の死などの苦難な生活、そしてその中から生まれた彼の音楽を知る事になる。
当時のニューオリンズを知る事はジャズの発祥を知る事でもある。ジャズミュージシャンやジャズファンは勿論の事、興味をお持ちの方には是非読んで戴きたい一冊である。(書店販売は無いが、数がまとまればラッシュライフから取り寄せも出来る。)
2008年1月7日月曜日
砂の器
年末大掃除に母が何やら押入れをごそごそ掃除して要らない物を放り出した中に「砂の器・松本清張」の古い本が出てきた。
この本を見て思い出すのは、子供の頃に母に連れられてこの映画をロードショーで見た事だ。小学生だった私には何やら暗い映画でストーリーが分からず途中で眠り込んでしまい、目覚めた時には母の「素晴らしい映画や!」と大絶賛する姿だけが目に入った。その時の素直な感想は「何でもうちょっと子供でも見て楽しめる映画を選んでくれへんねん?」と言う事だった。
そんなぽっかりと空いた私の「砂の器」を取り戻すべく、正月から一気にこの古本を読み急いだ。
映画ではハンセン病に対する根強い差別を批判した作品として大きく評価された様だが、原作は刑事の粘り強い捜査が事件を解決していく所にスポットが当てられている。それが又、あまりにも偶然すぎる(?)捜査解決の鍵だったりするので、読みながら「それは無いわ」「ありえへん」と思わずつぶやいてしまうのだ。
結局読み終えた後も、あの時母が絶賛した気持ちは私には未だ理解できていない。
ただ、昭和36年に発行されたこの本の中にはファックスは勿論、電話すら出てこない。だから通信手段は手紙だったり小包だったりする。
買ったばかりのデジタル・ウォークマンで嬉しそうに音楽を聴く息子を横目につくづく時代の変化の早さを思う。「ありえへん」。
2008年1月1日火曜日
初夢
リアルな初夢を見た。アブさんこと、アブデゥーラ・イブラヒムさんの夢だ。2006年にコンサートを企画した時にお会いしてから1年以上会ってないのに、夢の中の彼はあまりにもリアルな姿での登場。夢から覚めるとまるで久々に会ったかの様な気分だった。
しかも何故かその夢の中では、私の作ったアプリコットのタルトを二つも食べて、その後歯が痛いとうなりだし、歯医者に行って総入れ歯になるという・・・何ともヘンテコリンな夢だった!
お正月、子供ができる前の7年間は毎年滋賀県湖北の余呉湖にサイクリングに行くのが恒例だった。
手足の先は寒さでジンジンと痛み、頭の上には雪を積もらせ、無言でもくもくと走り続ける極寒の中でのサイクリング。
ここ数年は滋賀県五個荘にある別荘で大晦日から元旦の朝までを過ごし、昼からの営業時間までに京都に戻って来ると言うハードスケジュール。
しかし今年は天気予報で雪だ雪だと言うもんで、あっさりと旦那も諦めがつき、久しぶりに京都で年を越す事になった。
例年よりのんびりとした年始に見る今朝の美しい青空、雪などかけらも無い。「神様は私に見方した」と確信し、ニンマリと笑う。
今年もよろしく。