2007年12月29日土曜日

ラッシュライフからのお知らせ

12月31日(月)は休業します。
年始は1月1日(火)より営業します。(三ケ日は12:00~21:30頃まで)
初詣の帰りやお暇な時には是非ご来店下さい。お待ちしています!

2007年12月23日日曜日

ベーゼンドルファー

 世界的な高級ピアノメーカー、オーストリアのベーゼンドルファー社の全株をヤマハ(浜松市)に売却する契約が先月20日結ばれた。 そして日本ベーゼンドルファーは27日自己破産、倒産した。


おそらくラッシュライフが上賀茂神社でランディ・ウェストンのコンサートを企画していなかったら、このニュースも左程気に留める事がなかっただろう。


2001年に初めて上賀茂神社でランディのコンサートを企画した時、ピアノは出来ればベーゼンをと言う本人の希望が添えられた。

日本ベーゼンドルファー大阪ショールームのN 氏にピアノの貸し出し依頼と企画の趣旨等を手紙で伝えた。後日お電話をした所、快くピアノの貸し出しを承諾して下さった。そして何と貸し出し料は無料での提供だと言う。「ランディ・ウェストンはベーゼンの専属ピアニストです。あなた達のコンサートの趣旨が営利目的のコンサートでは無い事も含めてこちらも応援しています。」との事だったのだ。

初めて海外から直接アーティストを呼んでの大きなコンサート企画だっただけに経費面も企画そのものも全てが不安だらけの中、このN氏の言葉には涙が出るほど嬉しかった。


上賀茂神社に運び込まれたピアノは驚く程大きなフルコンサートグランドピアノ、インペリアルMODEL290。これはベーゼンが最も誇るピアノである。標準88鍵の下に更に黒く塗られた鍵盤があり、合計97鍵の鍵盤完全8オクターブを持つピアノなのだ。

ランディの奏でるピアノは左手の低音域を最大限に生かした演奏だ。彼がベーゼンを指定した理由が演奏を聴き始めてすぐに理解できた。大きなランディが大きなフルコンを自由に操る。強烈な演奏は聴いている全ての人々を圧倒した。



昨日、日本ベーゼンのN氏と電話でお話する事ができた。今後はメンテナンス業務を担うため技術者が集結して新たな会社を立ち上げた事、そしてインペリアル290が貸し出し用に保存されている事、N氏は事後処理に追われている事などもお聞きした。そして改めて上賀茂神社のコンサートでお世話になってきた事のお礼を言い受話器を置いた。



ベーゼンドルファーは手作業で作られている為、他のメーカーに比べて極端に生産台数が少ないそうだ。スタンウェイの10分の1、ヤマハの100分の1の台数で、おまけに「弾き手を選ぶ気難しいピアノ」とも言われ、学校やホールで目にする事も少ない。しかし一度弾きこなせば他のピアノでは絶対演奏をしないピアニストもいたほどだとか。ヤマハは今後もオーストリアでのベーゼンの生産を継続する事を条件に買収契約を結んだようだ。このピアノを愛するピアニストとその演奏を楽しみにしている観客がいる限りベーゼンドルファーの生産が継続される事を願うばかりである。







2007年12月15日土曜日

そっとつぶやく

私の父は昭和一桁生まれ、男が台所に立つのは恥、女房が働きに出るのは亭主の恥、と言う絵に描いた様な亭主関白な人で母も随分苦労させられていた様だ。子供の躾も厳しく特に食事の時の行儀にはうるさかった。私語厳禁、、箸の持ち方、茶碗の持ち方、食事中は正座を崩す事は許されず、食べ残し厳禁などなど。私の足が太くて短いのはこの正座のせいだと今も思っている。おまけに空手5段。そんな父が四角い物を丸だと言えば「はい丸です。」と言わざるを得ないのだ。そう、我が家では父には絶対服従。もし逆らえば容赦無く空手チョップが飛んでくる。テレビで見る家族団欒の楽しい食事風景は憧れの風景だったのだ。中学生の反抗期を迎える頃には反抗心が頂点に達し、口も利かず目も合わせずが常となる。そんな父も55歳と言う若さで他界したので既に22年が過ぎた事になる。




さて、我が家の双子の子供達も現在中学3年生。親の背丈を遥かに超え体格だけは一人前だがその中身はと言うと、これが頭が痛くなるくらいだらしない。勉強どころかまず生活がなってない。「起きたら布団を上げろ」「学校から帰ったら弁当箱を出しなさい」「脱いだらたため」「出したらかたずけろ」「開けたら閉めろ」・・・と言い続けても、馬の耳に念仏。




仕事上家族が揃って食事をする事もあまりない。よって出来上がったご飯を各々が好きな所で好きな様に食べている。一人はキッチンで、一人は自分の部屋で、一人がテレビの前でといった具合だ。(ここは学食と違うぞ~!!)そして何か言おうとすると、「お母さんは喋らないで!」と話す前から小言を察して娘の反抗的な言葉が出る。一方息子の方にはニコニコスマイルでかわされてしまう。家族団欒も無ければ厳格な食事風景すら無いのだ。







父が他界して22年、仏壇に向かって今更ながらそっとつぶやく。


「お父さん、あんたは偉かった!」と。

出会い

少し前の事になるが、車椅子で来店された女性のお客さんがおられた。健常者の方との2人連れだった。コーヒーを飲んで少したった頃、健常者の方の女性が「以前男性で車椅子で来店した人を覚えていませんか?」と尋ねられた。どういう意図での質問なのかが呑み込めないまま曖昧に「そう言えばいらっしゃった様にも思いますね」と答えると、「私の主人なんです。」と今度は車椅子の女性が答えられた。「このお店がとても気に入っていて、ちょくちょく寄らせてもらっていた様なので一度私もと思い来ました。」との事。「ご主人はお元気ですか?」と尋ねると「実は先月病気で亡くなりまして。」と全く予期せぬ答えが帰って来た。

言葉に詰まる。そして一挙にその車椅子の男性の事が思い出された。そう、初めての来店の時、段差のある店の入り口に車椅子が入れる様、居合わせた常連の方が介助して下さった。車椅子の男性は慣れた動作で店の椅子に座りなおし、静かに音楽を聴きながらコーヒーを飲み帰って行かれた。その後も数回来られた様に記憶する。

障害者にとって色々な病気が併発する事は希な事ではない。詳しい病名は尋ねなかったが、もしかして最後に来られた時などはかなり悪い体調の中での来店だったのかも知れない。そんな事を思い、そして彼がこの店を気に入って下さっていたという事、そしてその奥様が思い出の場所として来店下さった事を思うと涙が溢れてきた。



出町柳は京阪の終点の駅だ。「とりあえず終点の駅まで行ってから何処に行くかを考えよう」と行き当たりバッタリの日帰り旅行で来られる方も案外多い。地図を片手に何処がお勧めかとアドバイスを求められる事も多いのだが、長年京都に住みながらあまり神社仏閣名所を知らない。

「お寺の拝観料も数行けばバカにならないしねー、その点神社はタダやし下賀茂神社と上賀茂神社で時間があれば加茂川の土手をぷらぷら歩いて神社のハシゴなんかが良いのでは?」と言うとそれもそうだと話が弾む。一頻り話し終えると「又京都に来たら寄りますね」と言って帰っていくお客さんが多い。



毎日色々な方が来店下さる。会話を交わす人もそうでない人も、ラッシュが出会いの場である事がとても嬉しい。そしてその一時をこれからも大切にしたい。

ラッシュライフからのお知らせ

ラッシュライフからのお知らせ
明日12月16日(日)は臨時休業とさせて戴きます。明日を避けて又のお越しをお待ちしています!

2007年12月12日水曜日

可愛いパテシエ

今週、店が休みの火曜日、我が家に可愛いお客さんがやって来た。

先日5歳の彼女から「ケーキ作りを教えて下さい」との依頼を受けていたのだ。「私は将来パテシエになりたいんです」と5歳とは思えないしっかりとした口調で聞いた時には全く驚いた。

卵、バター、粉類を合わせて型に流しいれて焼くだけの簡単なマフィンに挑戦。普段私が使っている漉し機も攪拌機も彼女の手にはかなり大きく思わぬ苦労がある。卵をポンと割る事もなかなか大変そうだ。それでも少々の失敗に物怖じする事も無く作業は終了。オーブンに入れて焼くとみるみる膨れていく生地を心配そうに何度も見つめる。焼きたての熱々のマフィンを試食して「今度はくる実入りを作ろう」とやる気満々。二回の作業で10個余りのマフィンが出来上がり、をお父さんや幼稚園の先生へのお土産にと箱詰めして満足気に帰って行った。

物作りは楽しい。ましてこれが甘いお菓子ともなると尚更だ。
この日はそんな楽しみを5歳の少女と共有できて私も満足だった。

さて、インドには「食べてはいけないお菓子」と言うのがあるらしい。
4切れのお菓子が出されると2個は食べても良いが、後の1個は勧められれば食べても良く、最後の1個は絶対に残さなくてはいけないとか。
これは「京のぶぶ漬け」的風習に似ているなーと思う。食べてはいけない物なら最初から出さないでよー!私はこの手の回りくどい、判り難い風習がとても苦手だ。










2007年12月7日金曜日

三ツ星レストラン

先月自転車で福井県の小浜まで行って来た。運動不足に加えて久々の長距離と上り坂でヘトヘトになった。停まりそうなスピードで坂道を上がる様子を「アリが歩くのが見えるスピード」と命名したのは、かつて一緒にサイクリングに行った事のある大工の棟梁だ。


今回は私が「アリが歩くのが見えるスピード」だった。旦那も含め、同行してくれた方には申し訳なかったが、走り終えた時には達成感と安堵感でいっぱいだった。

駅前商店街の中にある「大谷食堂」は地元でも人気の食堂で、獲れたての魚や鰻が最高に美味しい。鰻の蒲焼、刺身の盛り合わせ、和え物、肝吸、漬物、ご飯がセットのなった「大亀定食」を食す。いつもサイクリングに行った後のご飯は格別に美味しいと感じる。何もしないで同じ感動を味わう為にはこれの何倍もの金額を支払う事にもなるだろう。いや、例え三ツ星レストランでフランス料理のフルコースを食べたとしてもこれに匹敵する感動は得られないかも知れない。(三ツ星レストランのフルコースを食べた事がないので実の所は判らないのだが・・)


2年に一度、上賀茂神社でコンサートを企画する。かつてはレコードやCDでしか聴いた事のなかった憧れのミュージシャンのコンサートを企画できる事は光栄な事だ。「最高のミュージシャンに最高の場所で最高の演奏をしてもらいたい。」そんな思いで運営されるこのコンサートは営利目的のコンサートでは無い。スタッフは全てラッシュに集まるお客さん達のボランティアスタッフだ。ボランティアだからアルバイト代は勿論でない。時には仕事より優先してコンサートの運営に当たらなくてはならなかったり、トラブルが発生すればスタッフ間での意見の食い違いも起こる。そんな大変なスタッフでも当日は他のお客様同様にチケットを購入して入場する事になる。スタッフは実質的にはデメリットはあってもメリットは無いのだ。しかし苦労して企画したコンサートには達成感と感動がある。三ツ星レストランのフルコース以上の感動がここでも味わえるのだ。4回のコンサート企画を経験して、今もスタッフ達のモチベーションは下らない。そして何より私達が企画したミュージシャンであるランディ・ウェストン、アブドゥーラ・イブラヒム両氏が私達スタッフをファミリーと呼ぶのだから。

フランシスコ・ザビエル

「日本人は総体的に良い素質を有し、悪意がなく交ってすこぶる感じが良い。彼らの名誉心は特別に強烈で彼らにとっては名誉が全てである。日本人は大抵貧乏である。しかし武士たると平民たるとを問わず貧乏を恥辱だと思っている者は一人もいない。」

これは1548年、日本に来た最初のキリスト教伝道者フランシスコ・ザビエルが記した日本の印象だそうだ。
それから460年の歳月が過ぎているのだから変わって当然。しかし現在の日本人はと言うと貧乏を恥辱としないどころか貧乏を全く恥じ嫌い、何とか自分一人でも勝ち組になれないものかと日々あくせく、がつがつ働いている。そうなると何となくザビエルの誉め言葉も耳が痛い。

ラッシュに集まる常連さんの仕事は多種多様だ。よって収入にもかなりの大差がある様だが、一歩店に入ればその区別は無い。お客さんの応対にムラは禁物と旦那は言う。だから「愛想が悪い」事を一貫しているとか。その日の気分でニコニコ笑っていられない日もあると思えば、愛想を振りまけない日に基準を合わす旦那の応対にも一理あるのだろうか?
地方から初めて訪れるお客さんや海外からのお客さんにはそんなラッシュがどんな風に映るのだろう?少々気になる所だ。

2007年12月3日月曜日

冷凍サウナ

旦那は普段夜の12時まで営業している店を土曜日だけは10時頃に閉店して、数人の常連さんと共に銭湯に行くのが土曜日恒例の「銭湯ツアー」で、かれこれ15年程続いている。

銭湯もサウナ、水風呂、露天風呂、薬湯、ジェット風呂などの設備を備えているのも当たり前になっているが、先週末訪れた銭湯には「冷凍サウナ」という物があったそうだ。マイナス10℃に冷やされた部屋は水風呂代わりにサウナでのぼせた体を急激に冷やす目的のものだろうが大抵の人は10秒として入っていられない寒さだとか。



同日、私は家でテレビを見ていると、北海道の灯油値上げのニュースをやっていた。

これからの季節、北海道での灯油値上げはかなり深刻な問題。死活問題にも発展しかねない。

年金暮らしをする老夫婦は、節約の為に就寝中のストーブはマイナス10℃以下にならないと点けないと話していた。その代わり頭にはタオルを巻き、布団と毛布は合わせて8枚をかぶって寝ると言う。まさしく大抵の人なら10秒と居られない冷凍サウナで寝ている状態なのだ!



我が家の暖房は石油ストーブとコタツ。やはり今年の石油の高騰は家計に堪える。

夜な夜な皆が寝静まった頃に始めるケーキ作りは私の楽しみの一つだ。石油ストーブの上でしゅんしゅんとお湯が沸くと紅茶を入れて私のプライベートタイムが始まる。

死活問題とまではいかなくとも、こんな楽しみもこれからは少し我慢と工夫が必要になってきそうだ。