私が小学校5年の時の事、画家の三橋節子さんが癌で亡くなられ、滋賀の自宅にお線香を上げさせてもらいに母に連れられ行った事がある。
母と三橋節子さんは鴨沂高校バトミントン部の先輩後輩の関係で、亡くなられた時はまだ30歳代だったのではないだろうか。幼い子供を残しての無念の死だったと思う。そんな縁で彼女の展覧会には幾度と無く出向き、いつしかその画風が大好きになった。
先日ゴールデンウェーク最終日の5月6日に余呉湖に皆でサイクリングに行ってきた。
快晴のサイクリング日和。琵琶湖湖北は野鳥の宝庫でその鳴き声を聞きながら自転車を走らす。余呉川の川辺に咲く草花が可愛らしく風に揺れる。
余呉湖と言えば古戦場として名高い賤ガ岳だが、私にとってこの辺りの風景はまさしく三橋節子の絵画だ。絵の中にすっぽり飛び込んでしまった様な気持ちになる。
ウッディーパル余呉と言う町営のロッジを借りてバーベキューに舌鼓。子供も大人も大はしゃぎの一日だった。
志を持ち、自身の信念を貫いた人生は人に感動を与えるのか、あれから30年以上の月日が経った今でも私はサイクリングの度に三橋節子さんに出会った気持ちになれるのだ。
3 件のコメント:
余呉湖は、わたしも幾度か訪れました、花折峠を越えて。近江は京都の人間にとって、それぞれに思いが深いところです。
わたしは小さいとき、父が運転する自動車に乗せられて琵琶湖をぐるぐる廻ったんだそうです。父はわたしを琵琶湖のどこかの水の中へどぼんと、捨てようとしたのだそうです。でもちっちゃなわたしが、運転する父の真横でお手々をたたいて、けたけた笑うもので捨て切れなかったと。
父は差し迫った事情で、わたしを置いて家を出るときでした。よくわかりませんが、わたしはその後、父がくれた龍の目玉をなめなめ育ったようであります。
やすこさん
幼い子供を残し湖に帰る龍は随分と辛かっただろうと思います。龍の目玉をなめなめ育ったのがやすこさんと言うのは納得できる話です。母の龍の目玉で育った子供は優しさと力強さを持ち合わせて大きくなると言うのがこのお話の筋だと思いますから(笑)。
はじめまして
三橋節子で検索してやってまいりました。
仕事の都合をつけて、是非とも余呉を眺めてみたいと思ったのですが、到着したのは陽がとっぷり暮れた後。
真っ暗闇にわずかに映る賤ガ岳のシルエットだけを眺めた記憶があります。
海のように広いのに静かすぎるほど穏やかな琵琶湖を眺めていると、なにか三橋節子さんの人柄や絵に通じるものを感じてしまいます。
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