墓地への行き帰りの行進音楽は、黒人の現実的な態度を表している。根は過去にあった。奴隷労働、綿畑、船着場、そして重荷からの開放としての死。飾りなく死を見るリアリズムだった。それは綿畑の奴隷の現実であり、そばで父か母か兄弟姉妹か友が死ぬと二重に重荷を感じる人の現実だった。喪失と重荷の二重の悲しみ。死ななきゃ重荷は下ろせない。流す涙があり、嘆き悲しむ声あり。それでも綿畑はずっと続いて列をなし、背中の袋は綿で一杯にしなければならず。だから歌わなきゃやっていられない。しゃべる話も必要だし、重みに耐える癒しも必要だ。楽しい歌ばかりじゃない、嬉しい話ばかりじゃない。
兄弟は死んだ、今は神のもとにいる。兄弟に苦しみはもうない。悲しみが兄弟の苦しみを振り払ってしまった。未来の時間はずーっと彼らの前にある。喜び、悲しみ、そして十字架と一緒にある。
「帰りは若いやつらを楽しませてやろう!」
これは「ジョージ・ルイス」の一節である。ニューオリンズの葬儀は音楽葬で、墓地への行きは悲しみに満ちたメロディーで、葬儀が終わり帰りは陽気な演奏で行進される。死体が埋葬され会葬者とミュージシャンが墓地を去る時、死者は神の手の内にある、と誰もが知っている。だから帰りは生きている若いやつらを幸せにするほうがいいのだ。
この本はニューオリンズジャズのクラリネット奏者、ジョージ ルイスの伝記「Call Him George]の翻訳本「ジョージ・ルイス」であるが、音楽のみならず彼やその家族の生活そのものを書き記した伝記なのだ。それは彼の曾祖母が西アフリカのセネガルから奴隷船でニューオリンズに連れて来られた時代にさかのぼり、差別、貧困、病気、事故、度重なる家族の死などの苦難な生活、そしてその中から生まれた彼の音楽を知る事になる。
当時のニューオリンズを知る事はジャズの発祥を知る事でもある。ジャズミュージシャンやジャズファンは勿論の事、興味をお持ちの方には是非読んで戴きたい一冊である。(書店販売は無いが、数がまとまればラッシュライフから取り寄せも出来る。)
2 件のコメント:
昨日につづいて、挑戦。パスワードがうまく入りますように。音楽に知識のないものが、たまたまラッシュによくお邪魔することになって、何となく自分が欲しいものがそこにあったことを知りました。
今日の「出町柳日記」を読ませててもらって、さらに、ひとりで「んだ、んだ」と合点しています。
旦那がよく言うのには、音楽を聴くのに知識は必要が無いと。むしろ知識は邪魔モノ。聴いたままを感じる事が大切だと。又お待ちしています。
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