2014年7月3日木曜日

暮しの手帳

「暮しの手帳」と言う雑誌がある。1948年(昭和23年)花森安治により刊行されたロングランの婦人雑誌だ。
当時開発発売された多くの電化製品の商品テストを独自に行い商業主義に左右されない鋭い批評は製品メーカーにも大きな影響力をもたらした。
又、一般消費者目線の平和主義、反差別主義に基づく記事も当時は多く書かれていた様だ。
残念ながら現在はこの商品テストは無くなり、主義の記事も一切無い。「暮らしの便利帳」と改名しても良いのではとも思う内容だ。

「1968年夏号 暮らしの手帳96 特集 戦争中の暮しの記録」を古本屋で購入した物を再読する。 
この号は戦後間なしのこの時に人々が鮮明に戦争の記憶がある時に読者から寄せられた生々しい戦争の思い出を綴った物だ。それは戦争の経過やそれを指導した人たちや大きな戦闘の記録ではなく、日本国内でただ黙々と歯を食いしばって生きてきた人たちが、何を苦しみ、何を食べ、何を着て、どんな風に暮らしてきたのか、どんな風に死んでいったのか、どんな風に生き延びたのか、戦争中の暮しの記憶なのだ。

「その戦争は1941年(昭和16年)12月8日にはじまり、1945年(昭和20年)8月15日に終わった。
それは、言語に絶する暮らしであった。その言語に絶する明け暮れのなかに、人たちは、体力と精神力のぎりぎりまでもちこたえて、やっと生きてきた。
親を失い、兄弟を失い、夫を失い、子を失い、大事な人を失い、そして、青春を失い、それでも生ききた。家を焼かれ、財産を焼かれ、夜も、朝も、日なかも飢えながら生きてきた。
しかも、こうした思い出は、一片の灰のように、人たちの心の底ふかくに沈んでしまって、どこにも残らない。いつでも、戦争の記録というものは、そうなのだ。(中略)
しかし、君がなんとおもおうと、これが戦争なのだ。それを君に知ってもらいたくて、この貧しい一冊を、のこしてゆく。
できることなら、君もまた、君の後に生まれる者のために、そのまた後に生まれる者のために、この一冊を、たとえどんなにぼろぼろになっても、のこしておいてほしい。これが、この戦争を生きてきた者の一人としての、切なる願いである。 編集者」

戦後69年。戦争経験者が多く生存しているこの時代ですら戦争は私達に遠い昔話になってしまったのか。編集者が思う以上に戦争中の暮らしの記憶の風化は早い。
逆に言えば戦後復興、高度成長が目覚ましいスピードで進んだ証しとも言えるのか。一面焼け野原だった東京の街には高層ビルが立ち並ぶ。頭上で焼夷弾がさく裂する恐怖は無い。泣き叫ぶ子を柱にくくりつけて食糧を買い求めに走る悲しみも無い。

2014年7月1日、安倍首相は集団的自衛権の行使を限定容認する新たな政府見解を決定した。
これから日本がどうなっていくのか先の見えない恐怖感を感じる。
戦争経験は無いがそれを残そうとした人々の記録を通して忘れてはならない日本人としての国の在り方を今一度考えたい。