2012年12月25日火曜日

サンタさんの贈り物

2012年12月24日、クリスマスイブのこの日CHOKI CHOKIでクリスマスチャリティーライブが行われた。

彼女がラッシュに常連客として訪れるようになったのは7年か8年程前の事だっただろうか?もんぺに下駄とまん丸メガネがトレードマーク。それから間もなく1000円散髪の美容院CHOKI CHOKIをオープン。そして間もなく卵巣嚢腫が見つかった。まだ店をオープンして間が無いという事とどうしてもメスを体には入れたくないと手術の前日に病院を脱走、ラッシュに直行でやって来た。
美味しそうにハートランドビールを飲み干し、これを美味しく飲めている間は病院は行かなくても大丈夫なんやと持論を押し通して、本当にそれ以来病院には行かなかった様だ。

楽しい事は大好き。だからラッシュが主催するコンサートや恒例の夏のバーベキューやパーティーや年末の餅つきには店を休んででもいつも彼女は参加してくれた。
行こうか止めようかと迷えば必ず行く方を選ぶ。歌おうか歌わないかと言えば勿論歌う。踊ろうか否か、迷う事も無い勿論踊る。
3年前には定時制高校に入学、現役高校生に混じって勉強も始め文化祭には軽音楽部でマイクを握り気の合うバンドで舞台にも立つ。
そんな彼女の生き方は病気と隣り合わせににある死を常に意識していたのだろうか?やり残しは無し。やりたいことはやり尽くす。

10月のラッシュ主催の上賀茂神社コンサートを手伝い終わるのを待っていてくれたかの様に11月入院。癌の転移が見つかったのだ。
彼女の病室には連日お見舞いの人が絶えない。抗がん剤の副作用で日に日に痩せていく体からは想像もできない程エネルギッシュに今も散髪だってできると言い切る。彼女の何よりの望みは再びCHOKI CHOKIでハサミを握る事なのだ。そんな願いを支援したいとカンパが集まる。そして今回のチャリティーライブの収益も全てカンパされる。

20席、詰めれば30席くらいかな、「来てくれる人だけでいいよ。無理してまで呼びかける必要はないよ。」と準備の段階で主催者のハリーナ友子さんは話していた。
カンパライブをしようと言い出してくれたギターの岩田さん、僕も参加できると即答して下さったピアノの寺崎さん、心に届く歌を歌ってくれた田中さん。3人のミュージシャンの方にも感謝。
当日来てくれた来場者はナント46人。立ち見に地べた座りの大盛況!

そして何よりのスペシャルゲストはサンタさんの贈り物やとこのライブを言う彼女自身が病院の外出許可が出てこのライブに来れた事。
ありがとう。サンタさんの贈り物はあなたです。
がんばれ!ゆきちゃん!!





2012年12月20日木曜日

連休と年末年始のお知らせ

12月23日(日)~25日(火)臨時休業させて頂きます。
その後年末年始は12月26日~1月7日まで休まず営業させて頂きます。

2012年9月15日土曜日

10月13,14日上賀茂神社RandyWeston&BillyHarperコンサート

今年も又上賀茂神社でコンサートを行う。今年はランディ・ウェストンとビリー・ハーパーのデュオコンサートだ。ランディのコンサートは今回で4度目、ナント彼は86歳になる。

2001年に初めて上賀茂神社の「庁の舎」という場所をお借りしてコンサートを企画した時、この建物は重要文化財とは名ばかりで殆ど物置小屋状態だった。蜘蛛の巣と埃まみれで中には普段使われていない荷物が山積み。外は雑草と落ち葉だらけだった。
コンサートを行うにはまずその建物の掃除と荷物を出す事からで、これが又大仕事。
それでも借りた時より返す時の方が綺麗と言って頂ける様にと、スタッフ総出で会場作りから始めた。その後回を重ねる度にこの「庁の舎」が見直され、今では色々なイベントや催し物に使われている。御蔭で会場内はそう汚れている事も無く、雑草も綺麗に刈り取られ整備が常に整っている。
これは初めてコンサートを行ってから11年の歳月の中での大きな変化の一つだと思う。

コンサートを準備、運営するスタッフは当店に集まる情熱あるお客さんのボランティアだ。
では準備に携わればチケットを購入しなくて良いのか?と言い出せばどこまでがスタッフなのか観客なのかが分からなくなるので、全てのスタッフが全員チケットを購入して観客にもなる。
おそらくは毎回本当にこのミュージシャンの音楽が聴きたくて、このコンサートを成功させたいと人一倍願っているのがスタッフ達だと思うのだが、チケット販売から会場準備、パンやコーヒーの販売やお客様の誘導などを行い、そして最後に自らもお客様になれるのだ。
このボランティアスタッフの方式は第一回目から変わる事が無い。メンバーは多少の変動はあるがこのスタッフ達がいるから成り立つコンサートである事は間違いない。

そしてランディのファンは確実に増えてきている。そしてこの上賀茂神社でのコンサートを毎回楽しみにして下さっているお客様もいる。
今回はテナーサックスのビリー・ハーパーとのデュオだ。ランディのエネルギッシュなピアノとビリーの力強い演奏がどの様にコラボするのか、想像するだけで鳥肌が立ってくる。
出来るだけ多くの方がこのコンサートを聴きに来て下さればと願うばかりだ。

10月13日(土)、14日(日) Randy Weston & Billy Harper Duo コンサート
場所:京都上賀茂神社「庁の舎」
時間:pm5:00開場 6:00開演 9:00終演予定
詳細はhttp://www.lushlife.jp

2012年7月26日木曜日

屋久島旅行

先日3日間の連休を頂いて娘と屋久島に行って来た。飛行機に乗るのはナント27年ぶり、大学の卒業旅行以来だ。

ウチの旦那は獣道とでも言うのか、常に同じ所にしか行かない人で、ここ最近は家と店と滋賀県にある別荘、この三箇所が彼の行動範囲、それ以外と言えばせいぜい銭湯くらいなものだ。
だから屋久島なんて言えばもう海外旅行にでも行くようなもので、最初私が娘と一緒に行くと言った時には大反対されてしまった。別に一緒について来てくれと頼んでいる訳では無いのだから良いような物なのに、何故か私にも縛りが入る。この不愍な正確の旦那の御蔭で私までもが何処にも行けず、かなり不満が募ってきた。そんな不満気な顔を見ていて末恐ろしくなったのか、ピタリと反対しなくなり、大変スムーズに娘と二人で旅行に行くことが出来たのだ。
その間旦那の胸の内でいったいどんな変化があったのかが気になる所だが、そんな事に気を取られている間もなく真っ青な海と緑の山々に包まれた3日間はあっと言う間に過ぎてしまった。

「雨の屋久島」と言われる程、雨の多いところとは聞いていたが、青空かと思えばいきなり雨。星空でも雨が降る、本当に不思議な島だ。一泊目は空港から北へ向かい終点の「永田」にある民宿。一泊二食付き6000円、海の幸と自家菜園の野菜を使った家庭料理はどうがんばっても食べきれない量のものが出てくる。すぐ近くにはウミガメが産卵に来るとても美しい砂浜があるが誰一人海水浴をしている人を見かけない。本当に素晴らしい景色の二人じめだ。
二泊目は「宮之浦」と言う港の近くの素泊まり宿。美味しそうな定食屋さんも多そうだ。宿のオーナーは面倒見の良さそうなおじさんで悩み多き年頃の一人旅には頼もしい感じがする。この宿に娘は私が帰った後、二泊お世話になったのだが、娘曰く「お母さんが帰ってからの方が楽しかったわ」と言う。憎らしいがまあそれで良いのだとも思う。
旅行は楽しい。見るもの全てが新鮮で。そして又日常の素晴らしさも迎える側に立つ気持ちの入れ方も大切だと思えるのだ。

2012年7月10日火曜日

夏休みのお知らせ

7月17日(火)~19日(木)お休みさせて頂きます。すみません

2012年5月17日木曜日

見えない世界の伝道師

前回の投稿から早2ヶ月が過ぎてしまった。月日の経つのが早い。 その間何もしていなかったと言えばそんな事もなく、かと言って何か成果を上げる程の事があったかと言えば左程何も無く、全くどうしたものなのか。 暫らくぶりにブログを書こうとこのページを立ち上げれば勝手にシステムが変わっていて戸惑う。目の見える者は手探りで色々触ってみて理解できるが、兄の様な盲人の人にとってはこんな時どうするのだろうとふと考える。 情報の8割は視覚からだと言う。弱視と全盲とでは違いはあれど、視覚障害は情報障害と言われる由縁だそうだ。 これは松永信也著「風になってください」の受け売り。ついでにもう少し引用させて頂く。 「空いている席」 バスや電車の利用は僕達には難関のひとつだ。外出の際、白杖や盲導犬を手から離すわけにはいかない。ということは、常に片手状態なのである。 もう片方の手の自由を確保するために、荷物はリュックサックで背負う人が多い。そして平衡感覚が視覚によって影響を受けることはあまり知られていない。 僕はあちこちで講演したりする機会が多いのだが、会場や時間の都合で必ずとは言えないが、できるだけこの平衡感覚実験をする。 まず、ただ普通に片足立ちを1分間やってもらう。だいたい7割から9割が合格だ。ある小学校のクラスでは全員クリアということもあった。 次に、目を閉じて同じことをやってもらう。10秒もしないうちにバタバタと音がし始める。1割もできれば上出来だ。大袈裟に言えば、歩くとは、片足立ちの連続した行動である。不安定なのが当然なのだ。僕は幸い1割にはいるタイプだった。たまたまそうだったのである。 その僕も、時々、歩きながら、身体が左右に揺れていることに気付く。だから、バスや電車に乗ると、まず真っ先につり革を探す。発車するまでに、とにかく何かに摑まりたい。それから移動を始める。座りたい。安全確保のためには、それが一番に決まっている。でも、どこの席が空いているのかは判らない。それは視覚で得られる情報だ。「どこが空いていますか?」と声を出せばいいと、言われることもある。でも、ひょっとして、高齢の方の前で言ってしまうかもしれないし、足の不自由な方に声が向かう危険性もある。これまた、視覚によってもたらされる情報なのである。 声を出すタイミングも難しい。以前、僕は自分の耳と勘を信じて座ってた。成功してた。ところが、ある日、おばあちゃんの膝に座ってしまった。 おばあちゃんは、素っ頓狂な声をあげた。僕はひたすら謝った。申し訳なくて、恥ずかしくて、全身から汗が噴き出した。予定を急遽変更して、次のバス亭で降りた。 その時から、乗り合わせた優しい乗客からの音声案内がない限り立っている。座れるか、座れないかは運の問題となった。朝から座れたりしたら、ついつい今日はついてる日なんて思ってしまう。ついてない日が多いんだなあ。 1日何回もバスや電車に乗って、1日中立ちっぱなしなんてしょっちゅうである。優先座席、シルバーシート、全て目から入ってくる情報だ。つい最近、女性専用車両が登場したらしい。これもドアなどにシールが貼ってあるのかな。今度は乗り込んだだけで、素っ頓狂な、いや悲鳴でもあげられたら、ああ、恐い恐い。 (中途失明者である松永さんは京都市在住。大きな葛藤を経て「見えないこと」を受け入れるとともに、「見えない世界」を生きる自らの体験を書きつづった『「見えない世界」で生きること』を出版するなど、「見えない世界の伝道師」を自負する人です。) 健常者にはなかなか障害者の気持ちは理解できないものだと思う。又、身近に障害者の方がいてもどうしてあげれば良いのか、又は何もしない方が良いのか、判断が難しい。それは障害者に限らず高齢者の方に席を譲るにしても、逆に失礼ではないかと思案している内に言い出しそびれることだってある。それでも気に掛けることの大切さは忘れないでいたいものだと常々思う。

2012年3月14日水曜日

震災から1年

2005年1月17日阪神大震災が起こる。同年3月20日オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こる。 この二つの異なる出来事をきっかけにそれまでアメリカに住んでいた村上春樹は日本に帰国し被害者とオウム信者への膨大なインタビューを綴った「アンダーグラウンド」を出版することになる。 二つの異なる出来事の共通点は「圧倒的な暴力」。その一つは「不可避な天災」でありもう一つは「回避しうる人災」である。そして私達の社会システムの矛盾と弱点を恐ろしいほどに浮き彫りにする出来事でもあったのだ。 村上春樹はこのサリン事件の取材を通して「私が経験したこのような閉塞的、責任回避型の社会体質は実のところ当時の帝国陸軍の体質とたいして変わっていなのだ。」と述べている。 教団の上層部は大抵が元エリートで約束された社会的地位をあっさりとなげうって新興宗教に走ってしまい、麻原彰晃に自我を差し出す。 自我を失った人は自分という一貫した物語を喪失してしまう。物語というのは人生そのものなのだからその失くした物語の代わりに他者から新しい物語を受領する。その他者とは自我を譲渡した本人麻原にだ!そして実体を渡し、影を与えられるのだ。実態は麻原に操られるまま殺人を犯し、影は物語の中で英雄となる。 だが村上は「我ら対彼ら」という態度は採らない。 「あなたは誰か(何か)に対して自我の一定の部分を差し出し、その代価としての「物語」を受け取ってはいなだろうか?もしそうだとしたら、その制度はいつかあなたに向かって何らかの「狂気」を要求しないだろうか?あなたの「自律的パワープロセス」は正しい内的合意点に達しているだろうか?あなたが今持っている物語は本当にあなたの物語だろうか?あなたの見ている夢は本当にあなたの夢なのだろうか?それはいつかとんでもない悪夢に転換していくかもしれない誰か別の人間の夢ではないのか?」と。 2010年3月11日今度は東日本大震災が起こる。そして今度の震災は原発事故をも引き起こす天災と人災の同時災害として。 私達は日本という社会システムに自我を差し出して利便性と引き換えに取り返しのつかない危険なモノを推進してきたのではないだろうか? Co2削減や環境破壊を回避する道としてクリーンエネルギーで電気自動車やオール電化の家がエコで素晴らしいモノの様に言われ、何の疑いもなくそれを信じて日本国内に54基もの原発がある事も知らず、影の中で生きてきたのではないかと考える。 震災から1年。瓦礫処理、除染、雇用対策と復興は東北地方に限らず全国を襲う不況に課題は山積のままだ。

滋賀の一日探訪

滋賀の五個荘という所に築100年程のボロやの別荘がある。20年前に勢い余って購入し、以来ガウディーのサクラダ・ファミリア状態に改築続けている。
その家を買った時からお世話になっているご近所の農家のおばちゃんは長年完全無農薬の美味しい野菜を育てていらっしゃる。「野菜ができたし取りにおいで~」と電話があり早速行って来た。
菜の花、ほうれん草、サラダごぼう、ブロッコリー、野沢菜、じゃがいも、大根、黒豆、葱に自家製たくあんに塩昆布。どれもシャキシャキで美味しそう。

近江八幡あたりまで来るとそんな自家製野菜や琵琶湖の小魚で作った定食屋さんも増えてきた。
平日でも観光バスが何台も停まり観光客が大勢やって来るのだ。ここ数年で近江八幡も随分様変わりした。
都会からやって来る人が何を求めているのかを良く知っての町おこしの成功例だと思う。

同日浜大津にも少し立ち寄った。ここは滋賀県でも南の方なので近江八幡に比べればうんと都会だ。駅前には大きなビルやマンションが立ち並ぶ。しかし少し入ると昔の風情のある商店街がありここにも美味しい定食屋さんや八百屋や魚屋がある。随分シャッターも下りているのだがまだまだ頑張っているお店も多い。住人の高齢化で大きなスーパーよりむしろ昔ながらの商店街で買い物をする人が多いらしく、駅前にあったオーパは撤退したそうだ。
駅近くの雑居ビルの一つにモーツァルト・バー・Kielというお店がある。案内してもらわなくてはたどり着けない所にあるようなお店だが、中に入れば以外にも落ち着いた雰囲気と気さくなマスターが迎えてくれる。
クラッシク音楽好きが高じてお店を始められたそうだが、昼は高校の英語教師という別の顔を持っている少し不思議な方だ。浜大津に行かれたら是非一度立ち寄ってもらいたい。http://www.biwa.ne.jp/udtsibow/

2012年3月1日木曜日

20年来の友人

約20年前に一人のイギリス人女性が店にふらりと立ち寄って下さった。ジャズ好きの彼女が看板に目を留めてくれての来店だった。彼女は旦那のかけるレコードを存分に楽しみ、帰りがけに「どこか他にもジャズが楽しめる良い店はないか?」と尋ねた。旦那は「ここが一番に決まってる」と英語で言ったのか?日本語で言ったのか?は分からないがとにかくそう言い、彼女はそれが理解できたのかどうかもコレマタ分からないまま帰って行った。それから一月経ったある日彼女は又店に現れ「やっぱりこの店が一番だ」とおそらく英語でだと思うが言って下さった。以来、彼女との付き合いが始まる。

私に子どもができるまでは店が終わってからよく一緒に銭湯に行ったりご飯を食べに行ったりもした。
日本の文化や建築にも興味を持ち、日本各地に積極的に旅行にも行っていたようだ。それでも時折ホームシックからか当時は涙を流して悲しむ顔も何度か見た。

イギリスのBBC放送局に勤めていた事もあり多くの有名なジャズミュージシャン(ガレスピーやマリガン等等)の友人も多く、2001年彼女の紹介で初めて京都上賀茂神社のRandy Westonのコンサートが実現する。
2003年のAbdullah Ibrahimも彼女の紹介からだ。以来RandyもAbdullahも各3回のコンサートを上賀茂神社で行ってきた。これも元はといえば彼女あっての実現なのだ。

20年間住み慣れた借家が老朽化の為に遂に取り壊すことになった事を機会に、昨年の6月に京都を引き払いフランスに行く事になった。以前住んでいたイギリスの家は娘夫婦に譲り、新たに買った南フランスの家にだ。写真で見る限りプールもあるという広大な土地とまるで御伽噺に出てきそうな素敵な家だ。
先日フランス旅行に行くというY君が彼女を訪ねた。土産にラッシュライフのコーヒー豆を持たせると、彼女からお礼のメールが送られて来た。ラッシュライフのコーヒーが懐かしく嬉しいお土産だと。20年前にイギリスへのホームシックで泣いていた彼女を急に思い出す。今度は京都へのホームシックで泣いてはいないだろうかと。

今年の10月、4回目のRandyのコンサートがある。その時には南フランスから彼女(ジル・メラー)も駆けつけてくれる予定だ。