2012年5月17日木曜日

見えない世界の伝道師

前回の投稿から早2ヶ月が過ぎてしまった。月日の経つのが早い。 その間何もしていなかったと言えばそんな事もなく、かと言って何か成果を上げる程の事があったかと言えば左程何も無く、全くどうしたものなのか。 暫らくぶりにブログを書こうとこのページを立ち上げれば勝手にシステムが変わっていて戸惑う。目の見える者は手探りで色々触ってみて理解できるが、兄の様な盲人の人にとってはこんな時どうするのだろうとふと考える。 情報の8割は視覚からだと言う。弱視と全盲とでは違いはあれど、視覚障害は情報障害と言われる由縁だそうだ。 これは松永信也著「風になってください」の受け売り。ついでにもう少し引用させて頂く。 「空いている席」 バスや電車の利用は僕達には難関のひとつだ。外出の際、白杖や盲導犬を手から離すわけにはいかない。ということは、常に片手状態なのである。 もう片方の手の自由を確保するために、荷物はリュックサックで背負う人が多い。そして平衡感覚が視覚によって影響を受けることはあまり知られていない。 僕はあちこちで講演したりする機会が多いのだが、会場や時間の都合で必ずとは言えないが、できるだけこの平衡感覚実験をする。 まず、ただ普通に片足立ちを1分間やってもらう。だいたい7割から9割が合格だ。ある小学校のクラスでは全員クリアということもあった。 次に、目を閉じて同じことをやってもらう。10秒もしないうちにバタバタと音がし始める。1割もできれば上出来だ。大袈裟に言えば、歩くとは、片足立ちの連続した行動である。不安定なのが当然なのだ。僕は幸い1割にはいるタイプだった。たまたまそうだったのである。 その僕も、時々、歩きながら、身体が左右に揺れていることに気付く。だから、バスや電車に乗ると、まず真っ先につり革を探す。発車するまでに、とにかく何かに摑まりたい。それから移動を始める。座りたい。安全確保のためには、それが一番に決まっている。でも、どこの席が空いているのかは判らない。それは視覚で得られる情報だ。「どこが空いていますか?」と声を出せばいいと、言われることもある。でも、ひょっとして、高齢の方の前で言ってしまうかもしれないし、足の不自由な方に声が向かう危険性もある。これまた、視覚によってもたらされる情報なのである。 声を出すタイミングも難しい。以前、僕は自分の耳と勘を信じて座ってた。成功してた。ところが、ある日、おばあちゃんの膝に座ってしまった。 おばあちゃんは、素っ頓狂な声をあげた。僕はひたすら謝った。申し訳なくて、恥ずかしくて、全身から汗が噴き出した。予定を急遽変更して、次のバス亭で降りた。 その時から、乗り合わせた優しい乗客からの音声案内がない限り立っている。座れるか、座れないかは運の問題となった。朝から座れたりしたら、ついつい今日はついてる日なんて思ってしまう。ついてない日が多いんだなあ。 1日何回もバスや電車に乗って、1日中立ちっぱなしなんてしょっちゅうである。優先座席、シルバーシート、全て目から入ってくる情報だ。つい最近、女性専用車両が登場したらしい。これもドアなどにシールが貼ってあるのかな。今度は乗り込んだだけで、素っ頓狂な、いや悲鳴でもあげられたら、ああ、恐い恐い。 (中途失明者である松永さんは京都市在住。大きな葛藤を経て「見えないこと」を受け入れるとともに、「見えない世界」を生きる自らの体験を書きつづった『「見えない世界」で生きること』を出版するなど、「見えない世界の伝道師」を自負する人です。) 健常者にはなかなか障害者の気持ちは理解できないものだと思う。又、身近に障害者の方がいてもどうしてあげれば良いのか、又は何もしない方が良いのか、判断が難しい。それは障害者に限らず高齢者の方に席を譲るにしても、逆に失礼ではないかと思案している内に言い出しそびれることだってある。それでも気に掛けることの大切さは忘れないでいたいものだと常々思う。