2012年3月14日水曜日

震災から1年

2005年1月17日阪神大震災が起こる。同年3月20日オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こる。 この二つの異なる出来事をきっかけにそれまでアメリカに住んでいた村上春樹は日本に帰国し被害者とオウム信者への膨大なインタビューを綴った「アンダーグラウンド」を出版することになる。 二つの異なる出来事の共通点は「圧倒的な暴力」。その一つは「不可避な天災」でありもう一つは「回避しうる人災」である。そして私達の社会システムの矛盾と弱点を恐ろしいほどに浮き彫りにする出来事でもあったのだ。 村上春樹はこのサリン事件の取材を通して「私が経験したこのような閉塞的、責任回避型の社会体質は実のところ当時の帝国陸軍の体質とたいして変わっていなのだ。」と述べている。 教団の上層部は大抵が元エリートで約束された社会的地位をあっさりとなげうって新興宗教に走ってしまい、麻原彰晃に自我を差し出す。 自我を失った人は自分という一貫した物語を喪失してしまう。物語というのは人生そのものなのだからその失くした物語の代わりに他者から新しい物語を受領する。その他者とは自我を譲渡した本人麻原にだ!そして実体を渡し、影を与えられるのだ。実態は麻原に操られるまま殺人を犯し、影は物語の中で英雄となる。 だが村上は「我ら対彼ら」という態度は採らない。 「あなたは誰か(何か)に対して自我の一定の部分を差し出し、その代価としての「物語」を受け取ってはいなだろうか?もしそうだとしたら、その制度はいつかあなたに向かって何らかの「狂気」を要求しないだろうか?あなたの「自律的パワープロセス」は正しい内的合意点に達しているだろうか?あなたが今持っている物語は本当にあなたの物語だろうか?あなたの見ている夢は本当にあなたの夢なのだろうか?それはいつかとんでもない悪夢に転換していくかもしれない誰か別の人間の夢ではないのか?」と。 2010年3月11日今度は東日本大震災が起こる。そして今度の震災は原発事故をも引き起こす天災と人災の同時災害として。 私達は日本という社会システムに自我を差し出して利便性と引き換えに取り返しのつかない危険なモノを推進してきたのではないだろうか? Co2削減や環境破壊を回避する道としてクリーンエネルギーで電気自動車やオール電化の家がエコで素晴らしいモノの様に言われ、何の疑いもなくそれを信じて日本国内に54基もの原発がある事も知らず、影の中で生きてきたのではないかと考える。 震災から1年。瓦礫処理、除染、雇用対策と復興は東北地方に限らず全国を襲う不況に課題は山積のままだ。

滋賀の一日探訪

滋賀の五個荘という所に築100年程のボロやの別荘がある。20年前に勢い余って購入し、以来ガウディーのサクラダ・ファミリア状態に改築続けている。
その家を買った時からお世話になっているご近所の農家のおばちゃんは長年完全無農薬の美味しい野菜を育てていらっしゃる。「野菜ができたし取りにおいで~」と電話があり早速行って来た。
菜の花、ほうれん草、サラダごぼう、ブロッコリー、野沢菜、じゃがいも、大根、黒豆、葱に自家製たくあんに塩昆布。どれもシャキシャキで美味しそう。

近江八幡あたりまで来るとそんな自家製野菜や琵琶湖の小魚で作った定食屋さんも増えてきた。
平日でも観光バスが何台も停まり観光客が大勢やって来るのだ。ここ数年で近江八幡も随分様変わりした。
都会からやって来る人が何を求めているのかを良く知っての町おこしの成功例だと思う。

同日浜大津にも少し立ち寄った。ここは滋賀県でも南の方なので近江八幡に比べればうんと都会だ。駅前には大きなビルやマンションが立ち並ぶ。しかし少し入ると昔の風情のある商店街がありここにも美味しい定食屋さんや八百屋や魚屋がある。随分シャッターも下りているのだがまだまだ頑張っているお店も多い。住人の高齢化で大きなスーパーよりむしろ昔ながらの商店街で買い物をする人が多いらしく、駅前にあったオーパは撤退したそうだ。
駅近くの雑居ビルの一つにモーツァルト・バー・Kielというお店がある。案内してもらわなくてはたどり着けない所にあるようなお店だが、中に入れば以外にも落ち着いた雰囲気と気さくなマスターが迎えてくれる。
クラッシク音楽好きが高じてお店を始められたそうだが、昼は高校の英語教師という別の顔を持っている少し不思議な方だ。浜大津に行かれたら是非一度立ち寄ってもらいたい。http://www.biwa.ne.jp/udtsibow/

2012年3月1日木曜日

20年来の友人

約20年前に一人のイギリス人女性が店にふらりと立ち寄って下さった。ジャズ好きの彼女が看板に目を留めてくれての来店だった。彼女は旦那のかけるレコードを存分に楽しみ、帰りがけに「どこか他にもジャズが楽しめる良い店はないか?」と尋ねた。旦那は「ここが一番に決まってる」と英語で言ったのか?日本語で言ったのか?は分からないがとにかくそう言い、彼女はそれが理解できたのかどうかもコレマタ分からないまま帰って行った。それから一月経ったある日彼女は又店に現れ「やっぱりこの店が一番だ」とおそらく英語でだと思うが言って下さった。以来、彼女との付き合いが始まる。

私に子どもができるまでは店が終わってからよく一緒に銭湯に行ったりご飯を食べに行ったりもした。
日本の文化や建築にも興味を持ち、日本各地に積極的に旅行にも行っていたようだ。それでも時折ホームシックからか当時は涙を流して悲しむ顔も何度か見た。

イギリスのBBC放送局に勤めていた事もあり多くの有名なジャズミュージシャン(ガレスピーやマリガン等等)の友人も多く、2001年彼女の紹介で初めて京都上賀茂神社のRandy Westonのコンサートが実現する。
2003年のAbdullah Ibrahimも彼女の紹介からだ。以来RandyもAbdullahも各3回のコンサートを上賀茂神社で行ってきた。これも元はといえば彼女あっての実現なのだ。

20年間住み慣れた借家が老朽化の為に遂に取り壊すことになった事を機会に、昨年の6月に京都を引き払いフランスに行く事になった。以前住んでいたイギリスの家は娘夫婦に譲り、新たに買った南フランスの家にだ。写真で見る限りプールもあるという広大な土地とまるで御伽噺に出てきそうな素敵な家だ。
先日フランス旅行に行くというY君が彼女を訪ねた。土産にラッシュライフのコーヒー豆を持たせると、彼女からお礼のメールが送られて来た。ラッシュライフのコーヒーが懐かしく嬉しいお土産だと。20年前にイギリスへのホームシックで泣いていた彼女を急に思い出す。今度は京都へのホームシックで泣いてはいないだろうかと。

今年の10月、4回目のRandyのコンサートがある。その時には南フランスから彼女(ジル・メラー)も駆けつけてくれる予定だ。