2008年12月19日金曜日

花一匁

<あの子がほしい、あの子じゃわからん>と歌った子供の遊び歌「花一匁」。
かつて口減らしがおこなわれた貧しい農村から子供を買い求めるとき、「花」(女児)一人につき金一匁が支払われたそうだ。匁(もんめ)は尺貫法の重さの単位で一匁は一貫の1000分の1の3.75gだそうだ。
「花一匁」にはそんな哀しい一説があるのだと読売新聞「編集手帳」より知る。

少し前になるが映画「闇の子供たち」という映画を見た。副題は「値札のついた命」。
タイで行われている、臓器移植を目的とした幼い子供たちの人身売買や幼児売買春を描いた作品。 内容はあくまでフィクションである。そう、フィクションであるのも関わらずその映画の訴える社会性が今もずしりと心に残る。実はこの映画を見てから何度も何度もこのブログに取り上げようとしたのだがその度に削除を繰り返した。うまく文章にならないのだ。
バンコク国際映画祭での上映が中止された事で私を含め、むしろ映画を見た人にフィクションをノンフィクション化させてしまったのではないだろうか?
そして反政府派のボランティア団体による空港占拠とソムチャイ政権崩壊、その後の民主党アピシット新政権の誕生など、映画の背後にあるタイの社会事情がそのまま現実と重なり、益々重く心の中に鉛球の様に重く沈みこむ。

今年の世相を反映した漢字として「変」が選ばれたそうだ。オバマ氏も「Chenge」と叫ぶ。
時代遅れの「匁」と言う漢字も常用漢字表から削除されるそうだ。哀しい現実は遠い昔と呼べる時代へと変わっていけばと思う師走の今日この頃だ。

2008年12月17日水曜日

朝の一時

今年からの習慣で朝は佐藤弘樹さんDJの〆モーニングを聞いている。10月のコンサート案内をして頂いてから、あの渋声にすっかり魅了されてしまったのだ。
慌しく朝食の準備や子供の弁当を作りながら、又店のケーキを焼きながら聞くラジオはキッチンの狭い空間が社会と小さな扉でつながっている気持ちにさせられる。
朝刊の主なニュースを読み上げ佐藤さんの少し惚けたコメントも楽しい。季節に合わせた選曲も悪くない。

さてカリフォルニアからの久々のクリスの来日に始まって、先週は何故か海外から懐かしい人達が続々と戻って来る週だった。アメリカ、イギリス、オーストラリア。
久しぶりとは言ってもお互いそんなに時間の経過を感じない。ラッシュライフは何故か時間が止まってしまっている異空間で非現実的な所があるらしい。

懐かしいと言えば、私が高校生だった頃に時々行った喫茶店「ルオー」のお姉さんも来て下さった。
授業をサボって、或いは放課後ぶらりと行く「ルオー」は高校生にとってはまさしく非現実の非日常、そんな不思議な時間が流れている喫茶店だった。
隠し味に醤油の入ったカレーが絶品だった。
音楽はジャズのレコードが流れていて、何故かローランド・カークの銅像が置いてあった。(ルオーはジャズ喫茶ではありません)
先日来られた時にあの銅像が今もあるのか尋ねた所、「そんなモノがあったかな?」と。そして今は無いしどこにいったのかも分からないとの事。・・少し残念。でもあの頃憧れだったルオーのお姉さんに来て戴いて、今はカウンターの中と外が逆になってしまったが、お姉さんにとってラッシュが非日常の空間に感じてもらえればと願っている。

今年のお正月休みは海外ではなく近場の温泉旅行が人気らしい。佐藤弘樹さん曰く「お金が無ければ話をするだけでも十分楽しめる」らしい。確かに同感。
ジャズのレコードを聴きながらコーヒーを飲んで400円で海外旅行にも勝る非日常とは随分お徳では?

2008年12月14日日曜日