2016年10月11日火曜日

2016年9月16日金曜日

ラッシュライフからのお知らせ


9月27日(火曜日)と28日(水曜日)を連休させていただきます。

以前から行きたかった島根県をぷらっと一人旅して来ます。
旦那は友人と滋賀の家にお泊りするそうです。

これからは月に一度くらいは連休を取りたいと思います。

ラッシュの仕事は毎日が休みみたいなもんですが、それ故に今まで苦痛に感じず営業してこれましたが、近頃店の狭さに閉塞感を感じています。
これは物理的にただただ狭くて動き辛いのが一番ですが、昨年の旦那の脳梗塞以来、狭い→運動不足→脳梗塞 と言うイメージ像が常にあり時々は解放されたいという欲求に繋がっている気がします。
まあ、そんな訳でご理解宜しくお願いします。


2014年7月3日木曜日

暮しの手帳

「暮しの手帳」と言う雑誌がある。1948年(昭和23年)花森安治により刊行されたロングランの婦人雑誌だ。
当時開発発売された多くの電化製品の商品テストを独自に行い商業主義に左右されない鋭い批評は製品メーカーにも大きな影響力をもたらした。
又、一般消費者目線の平和主義、反差別主義に基づく記事も当時は多く書かれていた様だ。
残念ながら現在はこの商品テストは無くなり、主義の記事も一切無い。「暮らしの便利帳」と改名しても良いのではとも思う内容だ。

「1968年夏号 暮らしの手帳96 特集 戦争中の暮しの記録」を古本屋で購入した物を再読する。 
この号は戦後間なしのこの時に人々が鮮明に戦争の記憶がある時に読者から寄せられた生々しい戦争の思い出を綴った物だ。それは戦争の経過やそれを指導した人たちや大きな戦闘の記録ではなく、日本国内でただ黙々と歯を食いしばって生きてきた人たちが、何を苦しみ、何を食べ、何を着て、どんな風に暮らしてきたのか、どんな風に死んでいったのか、どんな風に生き延びたのか、戦争中の暮しの記憶なのだ。

「その戦争は1941年(昭和16年)12月8日にはじまり、1945年(昭和20年)8月15日に終わった。
それは、言語に絶する暮らしであった。その言語に絶する明け暮れのなかに、人たちは、体力と精神力のぎりぎりまでもちこたえて、やっと生きてきた。
親を失い、兄弟を失い、夫を失い、子を失い、大事な人を失い、そして、青春を失い、それでも生ききた。家を焼かれ、財産を焼かれ、夜も、朝も、日なかも飢えながら生きてきた。
しかも、こうした思い出は、一片の灰のように、人たちの心の底ふかくに沈んでしまって、どこにも残らない。いつでも、戦争の記録というものは、そうなのだ。(中略)
しかし、君がなんとおもおうと、これが戦争なのだ。それを君に知ってもらいたくて、この貧しい一冊を、のこしてゆく。
できることなら、君もまた、君の後に生まれる者のために、そのまた後に生まれる者のために、この一冊を、たとえどんなにぼろぼろになっても、のこしておいてほしい。これが、この戦争を生きてきた者の一人としての、切なる願いである。 編集者」

戦後69年。戦争経験者が多く生存しているこの時代ですら戦争は私達に遠い昔話になってしまったのか。編集者が思う以上に戦争中の暮らしの記憶の風化は早い。
逆に言えば戦後復興、高度成長が目覚ましいスピードで進んだ証しとも言えるのか。一面焼け野原だった東京の街には高層ビルが立ち並ぶ。頭上で焼夷弾がさく裂する恐怖は無い。泣き叫ぶ子を柱にくくりつけて食糧を買い求めに走る悲しみも無い。

2014年7月1日、安倍首相は集団的自衛権の行使を限定容認する新たな政府見解を決定した。
これから日本がどうなっていくのか先の見えない恐怖感を感じる。
戦争経験は無いがそれを残そうとした人々の記録を通して忘れてはならない日本人としての国の在り方を今一度考えたい。






2014年6月11日水曜日

優雅な生活

ここ最近、仕事が週休二日になればどれだけ良いだろうと思う。
愚痴になるが週一回の休みでは溜まった家事と店の仕入れに仕込みで殆ど一日が終わってしまい自分の時間が無いのだ。ましてや旅行なんて3年に一度行けるかどうかという状態だ。
滋賀の別荘も行けば掃除ばかりでちっとも寛げる時間が無いのが現実。
自営業は自由で良い様に見えて案外不自由なモノだとつくづく思う。

うちの滋賀の別荘は敷地面積50坪の田舎の家だが、そのお向かいには500坪の近江商人屋敷の豪邸がある。江戸時代から受け継がれるこのお屋敷は代々色々な方が守りながら受け継がれてきたそうだが、現在お住まいのご夫婦が購入されたのは35年前。老後をのんびりと好きな植木の手入れや家庭菜園を存分に楽しもうとのおもいがあったようだ。確かにちょっとしたお寺など顔負けのその広大なお庭は雑草の一本も生えていない完璧な手入れがされている。それはこのご夫婦の日々の努力の結晶なのだろう。木の切り株一つにも愛情と思い出が詰りそれを語る目はまるでわが子の成長に思いを馳せる親の様だ。
そんな初老のご夫婦がこの豪邸を手放し、東京のマンション暮らしを考えておられる。
他人が見れば500坪の豪邸での優雅な田舎暮らしから都会のマンション暮らし?と不思議に思う方も多いだろうが、雑草の一本も無い庭園を見て「優雅」とはいったい何かを考えさせられた。

時々「私も退職後はジャズ喫茶でもやりたいんですよ。」と相談を持ちかけられる事がある。
大抵の場合、一通りお話しを伺いうちの旦那は「止めといた方が良い」と言う。
傍目に気楽そうに見えるジャズ喫茶だが気楽の陰には苦労も多いのだと身をもって知り尽くしているからだ。そう考えれば優雅とか気楽な生活とは現実にあるのだろうか?夢か幻、単なる憧れでしかあり得ない空想なのかも知れない。


2014年5月7日水曜日

皐月のサイクリング

サイクリングに行った。滋賀県近江八幡市あたりの田畑の中を7台の自転車が連なって走る。
途中でトイレ休憩に立ち寄ったユースホステルには趣のある古い木造建築で中には先月オープンしたばかりというお洒落なカフェがあり思わずそこで珈琲ブレイク。スイーツ4種盛りと飲み物セットで700円とお値段はリーズナブル。
仕事柄どうしても自分の店と比較してしまう。オープンしたばかりで気合いが入っている間だから良いけれど、例えもっと忙しくなっても、暇になってもこの値段と内容で本当に大丈夫なのか?要らんお世話と思いながらもあれこれ考える。と、その横で「安いな~。ええ店見つけたな~。」と気楽に話して喜んでる旦那がいる。ホンマに気楽なやっちゃなぁと笑いが込み上げる。

店を出て再度走り出すと猛烈な向かい風。遮る物の無い田園地帯を右に左にと走るとそんなに距離を走ったわけでもないのに少し疲れて又休憩。古道具屋を見つけて今度は皿やコップやモンペなどを安い安いと買い求める。自転車でっせ、私たち。どうやって持って帰るねん。
無理やり懐やらリュックに詰め込んで又走る。

私はサイクリング歴30年弱。始めた頃はサイクリングパンツを履いてロードレーサーに乗っていると「競輪選手ですか?」と驚かれたりした。最近は中高年を中心にサイクリングを楽しむ人も増えて至る所ですれ違う。30年前もそして今も時々何人かでサイクリングを楽しむ時には風景を楽しみその土地の店や食べ物を楽しむのが私達流。もうこれだけ?と物足りなさを感じる位にとどめておけば次も又走りたくなるのだ。その逆に無理をするとその時は充実感があっても次回乗る時は相当な気合いがいるし、下手するともう二度とサイクリングには行かなくなってしまうこともあるのだ。
昨日すれ違った数多くのサイクリングを楽しむ人たちもあまり無理せず長いスパンで自転車を乗り続けて欲しいと思う。まあこれも要らんお世話だが。

2014年4月17日木曜日

いつの頃からか時間にとてもルーズになってしまった。例えば1時に待ち合わせをすると時計を逆算して「30分前に出発」と思いながらそれまでに出来ることややっておかなくてはいけない事を片づけ始める。取り掛かった事は途中で止められないのであれよあれよという間に出発の時間は過ぎ気が付けば待ち合わせの時間にようやく家を出る事になる。と言うのが大抵のパターンだ。

ああ、今朝も店に着いたのが1時半過ぎ。家で仕込んだカレーを待つ御客さんが私の到着を首を長くしてお腹を空かせて待って下さっていた。本当に申し訳なく思う。そうしてどうすれば良いものかと考えるが恐らく明日も又同じことを繰り返すのだろうな。情けないー。

2014年4月14日月曜日

パソコンがXPだったので危険だ危険だと騒がれてタブレットを買ってみた。確かに小さくて持ち運びには便利だしインターネットに繋がるのも早くてオーなんと!と叫びたくなる。しかしながら未だ使いこなせていない現在は以前のXPがやや懐かしくもある。

ほとんど更新されないこのブログもこれからはもう少し小まめに投稿できるか、いやいやそれはパソコンの問題ではないのか・・・今後にご期待を!

2013年10月24日木曜日

写真展のご案内


TeT's 哲 写真展   Slow & Easy

2013、11、20(水)~25(月) AM10:00~PM6:00 ※金、土、日はPM7:00まで

松ヶ崎「涌泉寺」http://www.yusenji.com/にてウチの旦那の久々の写真展を行います。(無料)

11月24日(日) PM2:00~には”ざぶざぶ”のケンボーこと村上健三郎さんのドラムと涌泉寺の住職、八竹良明さんの読経に旦那の写真スライド映写と面白い試みを企画。只今チケットをラッシュライフにて販売中です(こちらは有料で2000円です。)電話075-781-0199

皆様のお越しをお待ちしています!

2013年10月22日火曜日

哲、久々の写真展

ウチの旦那の中学時代からの親友のSさん。中学の頃、「今から行くわ」と電話をかけて来てやって来たのはその3日後だそうだ。そんなのんびり屋の親友は今では印刷会社の社長。2年ごとの上賀茂コンサートを始め無理なお願いをきいていただいてまったく頭が上がらない。

さて来月11月20日から25日まで松ヶ崎涌泉寺で旦那の写真展を行う。その前の展覧会がいったいいつだったのか思い出せない位前になるので今回は本当に久しぶりの展覧会だ。場所がお寺の庫裡のお部屋を使わせていただいての展示なので和室に見合う様に展示方法にも工夫を凝らしている様だ。

今時の写真といばデジカメが主流なのだが、アナログの旦那は今もスライドフイルムを使用している。デジカメは使わない。あえて使わないのではなくて正確には使えないのかも知れない。
しかしその写真の世界もここ10年~20年でフイルムカメラは見事に衰退する一方。ましてスライドフイルムなどプリント自体危ぶまれる。現に20年程前には当たり前の様にできていた旦那の指定の印画紙が今は製造されていないらしく、当時の色上がりが期待できないそうだ。
多くの写真家の期待に応えるため、多くの技術者が長年構築してきたであろうプリント技術が一瞬にして消え去る社会。これは写真に限った事ではない。

50年程前の「暮らしの手帖」という雑誌を古本屋で見つけて見てみると当時の劣悪な家電製品の事が痛快なまでに批判してあった。当時販売されたばかりの食洗機は汚れが全く落ちず購入した人から感想を求めても「腹が立ってコメント出来ない」と連絡が来たとのこと。そんな劣悪な商品を平気で販売していたのだから家電を始め多くの商品が高度経済成長の中で切磋琢磨しながら技術を向上させてきたのだろう。それと同時に売れない商品はどんどん切り捨てられるそんな社会も生み出してしまったのだ。

今回の展覧会には20年前の懐かしい写真も何点か展示する様だ。今はその色上がりが出せない当時の貴重なプリントを見ていただきたい。久しぶりに押入れの奥から引っ張り出した写真には小さな虫食いの穴が開いていた。これも20年の歴史の賜物、アートだ。

展覧会の案内状の印刷を親友Sさんに依頼している。開会1ヶ月前を切ったが案内状がまだ届かない。のんびり屋はいまも健在だ。

2013年5月29日水曜日

マジック

満月の夜、月明かりで滋賀の田植えを済ませたばかりの農道を自転車で走る「満月サイクリング」。もう何十年も前から時々旦那が先導して店のお客さん達とこの季節に走りに行く。
5月下旬の夜は暑くも無く寒くも無くて、月明かりに照らし出される風景は水墨画さながらの幽幻な世界だ。先日大阪で見て来た「ボストン美術館 日本美術の至宝展」に展示されていた室町時代、江戸時代狩野派や光琳、若冲、蕭白が見ていたであろう景色とそう変わらなのではないかとさえ思える。夜は近代的な建物も車やトラックの騒音も明るすぎる照明も隠してくれる不思議なマジックがあるようだ。

前回のブログで書いたチョキチョキゆきちゃんがすっかり元気になられた。
1ヶ月程前に自分で全快祝いの赤飯を手土産に来店してくれた時には彼女がいったい何を言っているのか分からなかったのだが、それから1ヶ月後にはガンマー数値が見る見る下がり以前の様にハートランドビールを美味しそうに飲みほして次の店に行ってくるわとはしご酒。これがマジックでなければ一体何なんだろう?

そんなゆきちゃんマジックに便乗して6月1日から1ヶ月間、チョキチョキの店内でゆきちゃんのチクチク作品とウチの娘のイラスト作品の展示が行われる。
実は娘は以前から過呼吸、パニック障害、うつ病を発症して苦しみ、一時はどうなるのか一寸先は闇という状態だったのだが、ゆきちゃんのお店で来店されるお客様の似顔絵を描いている内にどんどん絵を描くことが面白くなった様で今回の作品展にまで発展したのだ。これも又ゆきちゃんマジック。嬉しい限りだ。

2012年12月25日火曜日

サンタさんの贈り物

2012年12月24日、クリスマスイブのこの日CHOKI CHOKIでクリスマスチャリティーライブが行われた。

彼女がラッシュに常連客として訪れるようになったのは7年か8年程前の事だっただろうか?もんぺに下駄とまん丸メガネがトレードマーク。それから間もなく1000円散髪の美容院CHOKI CHOKIをオープン。そして間もなく卵巣嚢腫が見つかった。まだ店をオープンして間が無いという事とどうしてもメスを体には入れたくないと手術の前日に病院を脱走、ラッシュに直行でやって来た。
美味しそうにハートランドビールを飲み干し、これを美味しく飲めている間は病院は行かなくても大丈夫なんやと持論を押し通して、本当にそれ以来病院には行かなかった様だ。

楽しい事は大好き。だからラッシュが主催するコンサートや恒例の夏のバーベキューやパーティーや年末の餅つきには店を休んででもいつも彼女は参加してくれた。
行こうか止めようかと迷えば必ず行く方を選ぶ。歌おうか歌わないかと言えば勿論歌う。踊ろうか否か、迷う事も無い勿論踊る。
3年前には定時制高校に入学、現役高校生に混じって勉強も始め文化祭には軽音楽部でマイクを握り気の合うバンドで舞台にも立つ。
そんな彼女の生き方は病気と隣り合わせににある死を常に意識していたのだろうか?やり残しは無し。やりたいことはやり尽くす。

10月のラッシュ主催の上賀茂神社コンサートを手伝い終わるのを待っていてくれたかの様に11月入院。癌の転移が見つかったのだ。
彼女の病室には連日お見舞いの人が絶えない。抗がん剤の副作用で日に日に痩せていく体からは想像もできない程エネルギッシュに今も散髪だってできると言い切る。彼女の何よりの望みは再びCHOKI CHOKIでハサミを握る事なのだ。そんな願いを支援したいとカンパが集まる。そして今回のチャリティーライブの収益も全てカンパされる。

20席、詰めれば30席くらいかな、「来てくれる人だけでいいよ。無理してまで呼びかける必要はないよ。」と準備の段階で主催者のハリーナ友子さんは話していた。
カンパライブをしようと言い出してくれたギターの岩田さん、僕も参加できると即答して下さったピアノの寺崎さん、心に届く歌を歌ってくれた田中さん。3人のミュージシャンの方にも感謝。
当日来てくれた来場者はナント46人。立ち見に地べた座りの大盛況!

そして何よりのスペシャルゲストはサンタさんの贈り物やとこのライブを言う彼女自身が病院の外出許可が出てこのライブに来れた事。
ありがとう。サンタさんの贈り物はあなたです。
がんばれ!ゆきちゃん!!





2012年12月20日木曜日

連休と年末年始のお知らせ

12月23日(日)~25日(火)臨時休業させて頂きます。
その後年末年始は12月26日~1月7日まで休まず営業させて頂きます。

2012年9月15日土曜日

10月13,14日上賀茂神社RandyWeston&BillyHarperコンサート

今年も又上賀茂神社でコンサートを行う。今年はランディ・ウェストンとビリー・ハーパーのデュオコンサートだ。ランディのコンサートは今回で4度目、ナント彼は86歳になる。

2001年に初めて上賀茂神社の「庁の舎」という場所をお借りしてコンサートを企画した時、この建物は重要文化財とは名ばかりで殆ど物置小屋状態だった。蜘蛛の巣と埃まみれで中には普段使われていない荷物が山積み。外は雑草と落ち葉だらけだった。
コンサートを行うにはまずその建物の掃除と荷物を出す事からで、これが又大仕事。
それでも借りた時より返す時の方が綺麗と言って頂ける様にと、スタッフ総出で会場作りから始めた。その後回を重ねる度にこの「庁の舎」が見直され、今では色々なイベントや催し物に使われている。御蔭で会場内はそう汚れている事も無く、雑草も綺麗に刈り取られ整備が常に整っている。
これは初めてコンサートを行ってから11年の歳月の中での大きな変化の一つだと思う。

コンサートを準備、運営するスタッフは当店に集まる情熱あるお客さんのボランティアだ。
では準備に携わればチケットを購入しなくて良いのか?と言い出せばどこまでがスタッフなのか観客なのかが分からなくなるので、全てのスタッフが全員チケットを購入して観客にもなる。
おそらくは毎回本当にこのミュージシャンの音楽が聴きたくて、このコンサートを成功させたいと人一倍願っているのがスタッフ達だと思うのだが、チケット販売から会場準備、パンやコーヒーの販売やお客様の誘導などを行い、そして最後に自らもお客様になれるのだ。
このボランティアスタッフの方式は第一回目から変わる事が無い。メンバーは多少の変動はあるがこのスタッフ達がいるから成り立つコンサートである事は間違いない。

そしてランディのファンは確実に増えてきている。そしてこの上賀茂神社でのコンサートを毎回楽しみにして下さっているお客様もいる。
今回はテナーサックスのビリー・ハーパーとのデュオだ。ランディのエネルギッシュなピアノとビリーの力強い演奏がどの様にコラボするのか、想像するだけで鳥肌が立ってくる。
出来るだけ多くの方がこのコンサートを聴きに来て下さればと願うばかりだ。

10月13日(土)、14日(日) Randy Weston & Billy Harper Duo コンサート
場所:京都上賀茂神社「庁の舎」
時間:pm5:00開場 6:00開演 9:00終演予定
詳細はhttp://www.lushlife.jp

2012年7月26日木曜日

屋久島旅行

先日3日間の連休を頂いて娘と屋久島に行って来た。飛行機に乗るのはナント27年ぶり、大学の卒業旅行以来だ。

ウチの旦那は獣道とでも言うのか、常に同じ所にしか行かない人で、ここ最近は家と店と滋賀県にある別荘、この三箇所が彼の行動範囲、それ以外と言えばせいぜい銭湯くらいなものだ。
だから屋久島なんて言えばもう海外旅行にでも行くようなもので、最初私が娘と一緒に行くと言った時には大反対されてしまった。別に一緒について来てくれと頼んでいる訳では無いのだから良いような物なのに、何故か私にも縛りが入る。この不愍な正確の旦那の御蔭で私までもが何処にも行けず、かなり不満が募ってきた。そんな不満気な顔を見ていて末恐ろしくなったのか、ピタリと反対しなくなり、大変スムーズに娘と二人で旅行に行くことが出来たのだ。
その間旦那の胸の内でいったいどんな変化があったのかが気になる所だが、そんな事に気を取られている間もなく真っ青な海と緑の山々に包まれた3日間はあっと言う間に過ぎてしまった。

「雨の屋久島」と言われる程、雨の多いところとは聞いていたが、青空かと思えばいきなり雨。星空でも雨が降る、本当に不思議な島だ。一泊目は空港から北へ向かい終点の「永田」にある民宿。一泊二食付き6000円、海の幸と自家菜園の野菜を使った家庭料理はどうがんばっても食べきれない量のものが出てくる。すぐ近くにはウミガメが産卵に来るとても美しい砂浜があるが誰一人海水浴をしている人を見かけない。本当に素晴らしい景色の二人じめだ。
二泊目は「宮之浦」と言う港の近くの素泊まり宿。美味しそうな定食屋さんも多そうだ。宿のオーナーは面倒見の良さそうなおじさんで悩み多き年頃の一人旅には頼もしい感じがする。この宿に娘は私が帰った後、二泊お世話になったのだが、娘曰く「お母さんが帰ってからの方が楽しかったわ」と言う。憎らしいがまあそれで良いのだとも思う。
旅行は楽しい。見るもの全てが新鮮で。そして又日常の素晴らしさも迎える側に立つ気持ちの入れ方も大切だと思えるのだ。

2012年7月10日火曜日

夏休みのお知らせ

7月17日(火)~19日(木)お休みさせて頂きます。すみません。

2012年5月17日木曜日

見えない世界の伝道師

前回の投稿から早2ヶ月が過ぎてしまった。月日の経つのが早い。 その間何もしていなかったと言えばそんな事もなく、かと言って何か成果を上げる程の事があったかと言えば左程何も無く、全くどうしたものなのか。 暫らくぶりにブログを書こうとこのページを立ち上げれば勝手にシステムが変わっていて戸惑う。目の見える者は手探りで色々触ってみて理解できるが、兄の様な盲人の人にとってはこんな時どうするのだろうとふと考える。 情報の8割は視覚からだと言う。弱視と全盲とでは違いはあれど、視覚障害は情報障害と言われる由縁だそうだ。 これは松永信也著「風になってください」の受け売り。ついでにもう少し引用させて頂く。 「空いている席」 バスや電車の利用は僕達には難関のひとつだ。外出の際、白杖や盲導犬を手から離すわけにはいかない。ということは、常に片手状態なのである。 もう片方の手の自由を確保するために、荷物はリュックサックで背負う人が多い。そして平衡感覚が視覚によって影響を受けることはあまり知られていない。 僕はあちこちで講演したりする機会が多いのだが、会場や時間の都合で必ずとは言えないが、できるだけこの平衡感覚実験をする。 まず、ただ普通に片足立ちを1分間やってもらう。だいたい7割から9割が合格だ。ある小学校のクラスでは全員クリアということもあった。 次に、目を閉じて同じことをやってもらう。10秒もしないうちにバタバタと音がし始める。1割もできれば上出来だ。大袈裟に言えば、歩くとは、片足立ちの連続した行動である。不安定なのが当然なのだ。僕は幸い1割にはいるタイプだった。たまたまそうだったのである。 その僕も、時々、歩きながら、身体が左右に揺れていることに気付く。だから、バスや電車に乗ると、まず真っ先につり革を探す。発車するまでに、とにかく何かに摑まりたい。それから移動を始める。座りたい。安全確保のためには、それが一番に決まっている。でも、どこの席が空いているのかは判らない。それは視覚で得られる情報だ。「どこが空いていますか?」と声を出せばいいと、言われることもある。でも、ひょっとして、高齢の方の前で言ってしまうかもしれないし、足の不自由な方に声が向かう危険性もある。これまた、視覚によってもたらされる情報なのである。 声を出すタイミングも難しい。以前、僕は自分の耳と勘を信じて座ってた。成功してた。ところが、ある日、おばあちゃんの膝に座ってしまった。 おばあちゃんは、素っ頓狂な声をあげた。僕はひたすら謝った。申し訳なくて、恥ずかしくて、全身から汗が噴き出した。予定を急遽変更して、次のバス亭で降りた。 その時から、乗り合わせた優しい乗客からの音声案内がない限り立っている。座れるか、座れないかは運の問題となった。朝から座れたりしたら、ついつい今日はついてる日なんて思ってしまう。ついてない日が多いんだなあ。 1日何回もバスや電車に乗って、1日中立ちっぱなしなんてしょっちゅうである。優先座席、シルバーシート、全て目から入ってくる情報だ。つい最近、女性専用車両が登場したらしい。これもドアなどにシールが貼ってあるのかな。今度は乗り込んだだけで、素っ頓狂な、いや悲鳴でもあげられたら、ああ、恐い恐い。 (中途失明者である松永さんは京都市在住。大きな葛藤を経て「見えないこと」を受け入れるとともに、「見えない世界」を生きる自らの体験を書きつづった『「見えない世界」で生きること』を出版するなど、「見えない世界の伝道師」を自負する人です。) 健常者にはなかなか障害者の気持ちは理解できないものだと思う。又、身近に障害者の方がいてもどうしてあげれば良いのか、又は何もしない方が良いのか、判断が難しい。それは障害者に限らず高齢者の方に席を譲るにしても、逆に失礼ではないかと思案している内に言い出しそびれることだってある。それでも気に掛けることの大切さは忘れないでいたいものだと常々思う。

2012年3月14日水曜日

震災から1年

2005年1月17日阪神大震災が起こる。同年3月20日オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こる。 この二つの異なる出来事をきっかけにそれまでアメリカに住んでいた村上春樹は日本に帰国し被害者とオウム信者への膨大なインタビューを綴った「アンダーグラウンド」を出版することになる。 二つの異なる出来事の共通点は「圧倒的な暴力」。その一つは「不可避な天災」でありもう一つは「回避しうる人災」である。そして私達の社会システムの矛盾と弱点を恐ろしいほどに浮き彫りにする出来事でもあったのだ。 村上春樹はこのサリン事件の取材を通して「私が経験したこのような閉塞的、責任回避型の社会体質は実のところ当時の帝国陸軍の体質とたいして変わっていなのだ。」と述べている。 教団の上層部は大抵が元エリートで約束された社会的地位をあっさりとなげうって新興宗教に走ってしまい、麻原彰晃に自我を差し出す。 自我を失った人は自分という一貫した物語を喪失してしまう。物語というのは人生そのものなのだからその失くした物語の代わりに他者から新しい物語を受領する。その他者とは自我を譲渡した本人麻原にだ!そして実体を渡し、影を与えられるのだ。実態は麻原に操られるまま殺人を犯し、影は物語の中で英雄となる。 だが村上は「我ら対彼ら」という態度は採らない。 「あなたは誰か(何か)に対して自我の一定の部分を差し出し、その代価としての「物語」を受け取ってはいなだろうか?もしそうだとしたら、その制度はいつかあなたに向かって何らかの「狂気」を要求しないだろうか?あなたの「自律的パワープロセス」は正しい内的合意点に達しているだろうか?あなたが今持っている物語は本当にあなたの物語だろうか?あなたの見ている夢は本当にあなたの夢なのだろうか?それはいつかとんでもない悪夢に転換していくかもしれない誰か別の人間の夢ではないのか?」と。 2010年3月11日今度は東日本大震災が起こる。そして今度の震災は原発事故をも引き起こす天災と人災の同時災害として。 私達は日本という社会システムに自我を差し出して利便性と引き換えに取り返しのつかない危険なモノを推進してきたのではないだろうか? Co2削減や環境破壊を回避する道としてクリーンエネルギーで電気自動車やオール電化の家がエコで素晴らしいモノの様に言われ、何の疑いもなくそれを信じて日本国内に54基もの原発がある事も知らず、影の中で生きてきたのではないかと考える。 震災から1年。瓦礫処理、除染、雇用対策と復興は東北地方に限らず全国を襲う不況に課題は山積のままだ。

滋賀の一日探訪

滋賀の五個荘という所に築100年程のボロやの別荘がある。20年前に勢い余って購入し、以来ガウディーのサクラダ・ファミリア状態に改築続けている。
その家を買った時からお世話になっているご近所の農家のおばちゃんは長年完全無農薬の美味しい野菜を育てていらっしゃる。「野菜ができたし取りにおいで~」と電話があり早速行って来た。
菜の花、ほうれん草、サラダごぼう、ブロッコリー、野沢菜、じゃがいも、大根、黒豆、葱に自家製たくあんに塩昆布。どれもシャキシャキで美味しそう。

近江八幡あたりまで来るとそんな自家製野菜や琵琶湖の小魚で作った定食屋さんも増えてきた。
平日でも観光バスが何台も停まり観光客が大勢やって来るのだ。ここ数年で近江八幡も随分様変わりした。
都会からやって来る人が何を求めているのかを良く知っての町おこしの成功例だと思う。

同日浜大津にも少し立ち寄った。ここは滋賀県でも南の方なので近江八幡に比べればうんと都会だ。駅前には大きなビルやマンションが立ち並ぶ。しかし少し入ると昔の風情のある商店街がありここにも美味しい定食屋さんや八百屋や魚屋がある。随分シャッターも下りているのだがまだまだ頑張っているお店も多い。住人の高齢化で大きなスーパーよりむしろ昔ながらの商店街で買い物をする人が多いらしく、駅前にあったオーパは撤退したそうだ。
駅近くの雑居ビルの一つにモーツァルト・バー・Kielというお店がある。案内してもらわなくてはたどり着けない所にあるようなお店だが、中に入れば以外にも落ち着いた雰囲気と気さくなマスターが迎えてくれる。
クラッシク音楽好きが高じてお店を始められたそうだが、昼は高校の英語教師という別の顔を持っている少し不思議な方だ。浜大津に行かれたら是非一度立ち寄ってもらいたい。http://www.biwa.ne.jp/udtsibow/

2012年3月1日木曜日

20年来の友人

約20年前に一人のイギリス人女性が店にふらりと立ち寄って下さった。ジャズ好きの彼女が看板に目を留めてくれての来店だった。彼女は旦那のかけるレコードを存分に楽しみ、帰りがけに「どこか他にもジャズが楽しめる良い店はないか?」と尋ねた。旦那は「ここが一番に決まってる」と英語で言ったのか?日本語で言ったのか?は分からないがとにかくそう言い、彼女はそれが理解できたのかどうかもコレマタ分からないまま帰って行った。それから一月経ったある日彼女は又店に現れ「やっぱりこの店が一番だ」とおそらく英語でだと思うが言って下さった。以来、彼女との付き合いが始まる。

私に子どもができるまでは店が終わってからよく一緒に銭湯に行ったりご飯を食べに行ったりもした。
日本の文化や建築にも興味を持ち、日本各地に積極的に旅行にも行っていたようだ。それでも時折ホームシックからか当時は涙を流して悲しむ顔も何度か見た。

イギリスのBBC放送局に勤めていた事もあり多くの有名なジャズミュージシャン(ガレスピーやマリガン等等)の友人も多く、2001年彼女の紹介で初めて京都上賀茂神社のRandy Westonのコンサートが実現する。
2003年のAbdullah Ibrahimも彼女の紹介からだ。以来RandyもAbdullahも各3回のコンサートを上賀茂神社で行ってきた。これも元はといえば彼女あっての実現なのだ。

20年間住み慣れた借家が老朽化の為に遂に取り壊すことになった事を機会に、昨年の6月に京都を引き払いフランスに行く事になった。以前住んでいたイギリスの家は娘夫婦に譲り、新たに買った南フランスの家にだ。写真で見る限りプールもあるという広大な土地とまるで御伽噺に出てきそうな素敵な家だ。
先日フランス旅行に行くというY君が彼女を訪ねた。土産にラッシュライフのコーヒー豆を持たせると、彼女からお礼のメールが送られて来た。ラッシュライフのコーヒーが懐かしく嬉しいお土産だと。20年前にイギリスへのホームシックで泣いていた彼女を急に思い出す。今度は京都へのホームシックで泣いてはいないだろうかと。

今年の10月、4回目のRandyのコンサートがある。その時には南フランスから彼女(ジル・メラー)も駆けつけてくれる予定だ。

2011年11月13日日曜日

セカンドハウス


来月に大学時代の友人数人が京都で集まるという事になりホテルの手配をした。
12月の初め頃といえば京都はまだ紅葉で観光シーズン真っ只中。なかなかホテルの予約が取れない。
何件かホテルに直接電話をかけると既に満室だという。しかしインターネットで探すと同じホテルでもそれがとれるのだ。旅行会社が早い時期に部屋を確保しているのだろう。ではインターネットを使わない人はホテルの予約をどうするのか?勿論旅行会社の窓口に直接行く事になるのだろうが、ホテルに直接電話で問い合わせて断られ諦める人も少なくないのではないかと考える。やはり世の中はネット社会なのだとつくずく思う。

「そうだ京都に行こう」というJR東海のキャッチコピーにもじって「そうだ京都に住もう」という本が売れている。作者の永江朗さんは茶室をもつ事を主目的にセカンドハウスを探しておられた。最初はマンションや借家も選択肢の中に含まれていたのだが、ルームマーケット平野さんとの出会いから古い町家を買い、使い勝手の良い状態にリフォームして使うとい方法に決まったのだ。
例えば田舎好きの人なら週末はのどかな田舎で家庭菜園でもしてみるというのが夢だろう。海好きの人なら週末はサーフィンか釣三昧か?しかし永江さんはそんなアウトドア派ではない。かといって東京の都会のマンション暮らしに満足している訳でもない。京都は自転車さえあれば大抵どこでも行けてしまえるその町のコンパクトさと山や川が身近にある自然豊かな風景、そして神社仏閣は勿論、美味しいレストランや喫茶店、パン屋に本屋と見所は豊富だ。そして週末をセカンドハウスで過ごしたい人の夢を可能にしているのがインターネットの普及。職種にもよるのだが、パソコンさえあれば急ぎの仕事はどこにいてもできてしまう人も多くなったのだ。

我が家も滋賀の田舎にボロやのセカンドハウスを持っている。ウチの旦那は定休日の前に日の夜には自転車で
70キロ離れたその家に向け出発する。我が家のセカンドハウス活用の主目的はその行程のサイクリングにあるようだ。パソコンは勿論、テレビ、電話も無いので行ってしまえばかなり現実逃避もできる。
変わることの便利さと不自由さが常に重なり合って時代が流れていると思う今日この頃だ。