2009年1月14日水曜日

年越し消化不良

戴いた年賀状の返事もやれやれどうしたものかと考えあぐねていると1月も半月が過ぎてしまった。
打てば響くような俊敏な反応のできない私はどうも物事を理解し消化するのに時間が要するようだ。

と言う訳で、昨年のクリスマスイブの事になるがエリック・マリアという方のチェロコンサートに行った時の事を今頃。
大分県の中学校の保健室の先生、山田泉さんという方がいた。自身の癌と向き合いながら「いのちの授業」を行った何ともパワフルな養護教論だ。癌を発症するまでも人権学習や性教育、平和学習を行っていた。ハンセン病の方を招いたり、村山元首相を招いたり、永六輔さんなどなど多くの方を招いて授業を行ったそうだ。
そしていよいよ癌が進行して学校を辞めた後に最後の旅行先として訪れたイタリアでチェロリスト、エリック・マリア氏と出会った。エリック氏はベトナム人の戦争孤児。フランス人の両親に育てられ現代音楽の巨星ピエール・ブーレーズが設立した室内オーケストラ「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」でトップチェリストとして活躍する傍ら、各分野のトップアーティストと世界各地で競演し高い評価を得ている。
そんな彼が山田泉さんとの出会いから自身の人生を見つめ直す旅が始まったと言う。そんな二人の出会いと人生を追ったドキュメンタリーフイルム「ご縁玉」。
クリスマスイブの夜、「ご縁玉」の上映で初めて山田泉さんを知った。そしてその後のエリック氏のチェロがドスンと心に響いた。このドキュメンタリーフイルムを見て尚の事、心に響いたのだと思う。そしてお会いする事は出来なかったが山田泉さんをエリック氏のご縁玉が届けてくれた。
二人との出会いを運んでくれたU氏もに感謝する。
山田泉さんの本『「いのちの授業」をもう一度』・『いのちの恩返し』は店で仕事の合間には絶対に読めない本。涙と鼻水でぐしょぐしょになって、やばい・・・。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「命の授業」を借りました。しかし今僕はきつい鬱状態のただなかで夕方くらいまでは頭の中に10キロの鉛が詰っているような憂鬱気分です。お腹には脂肪が10キロ詰っています。プールに久々に行きました。案外すいすいと泳げ500mくらい水の中をクロール風味で漂っていると、後ろのやつからバチバチと足を突かれ、隣のレーンのおばちゃんがバックで泳ぎながらこっちのレーンに居る僕の頭をレーン越しに手を伸ばし、これまたバチバチしばかれながら、気持ちがほぐれました。やっぱ10年は泳いでたしねー、吉永小百合の目標より長距離だったしね。と最初思いました。しかし泳ぎながら考え気がつきました。脂肪による浮力が昔と比べ圧倒的に増したので楽なのです。ああやんぬるかな。で、このコメントに本題などはないのですが、一応、自分は「感動」について語らせていただきたいとー、思います。オッース。感動するような本について考えるのは、気力のあるときでないと僕の場合読めないという事です。感動というのは作者との勝負だからです。僕は平常は2~3冊の本を並行して読みます。なぜかそのほうが1冊1冊の内容が頭に残るのです。しかし「勝負本」はそういう読み方は出来ません。隙を見せたら負けてしまうからです。立会いから一気に読み上げます。読み終わった後、自分の中に何が残ったかで勝敗が決まるのです。自分の中に残り自分を創ってゆくもの、それは案外とすぐには感動しないものが多いと思います。ボクシングで言えばノックアウト勝ちばかりするボクサーに対してはリベンジの作戦が立てやすい。しかし、小刻みにボディーブローを入れられて気がついたらマットに倒れていたなんて場合、リベンジする策が立てにくい。全然分からない譬えに陥ってしまいました。それがどうした。よく、物事に対してはオープンな姿勢を保つようにしないと感動する感性を失うよ、と言う人がいます(たぶんどこかに。ああ僕も結構若い人にそう言って説教たれてるわ)。しかしオープンであらねばならない相手は、他者ではないと思います。自分です。自分の中身を時々点検するためボンネットを開けてオープンなコンディションになっているか、診てやることだと思います。どんどんとはなしはあらぬ方向へと流れているみたいです。ぐっと「感動」に戻しましょう。僕は昔のアニメで「母を訪ねて三千里」のテーマ曲がテレビから流れ出した途端にぐっと涙腺が緩みました。それは子供のころです。と言ってももう中学生だったような気も。大人になって娘を与えられて、3歳くらいから一緒に「とっとこハム太郎」を毎週見ました。ハム太郎はハムスターの仲間達が、例えば大雨が続いて彼らの場に(彼らにとっては)洪水が押し寄せようとしている、みたいな危機に瀕しパニクると、短い手(前足)を突き上げて「みんな、ここで力を合わせるのだー!」と目を輝かせて先頭に立ちます。娘はそれで~?ってな感じで見続けますが、僕はもう涙腺のダムが決壊寸前で避難勧告が出されていますっという状況です。これも感動というひとつの事実ですし、今見ても同様の反応が起きると思います。しかし、「母を訪ねて三千里」のテーマ曲やとっとこハム太郎で僕の人生に新たなものが生まれるわけでは在りません。昨年だったかあるサイトから頼まれて文章を書くことになったので、ネタに以前から考えていた寅さんを研究し直しました。最近20万円ほどもするDVD セットが発売されましたが、僕は映画が映しきれなかったと思われる寅さんと、その背後にある渥美清という人のたたづまいに強く惹かれました。山田洋二監督は一作で終える予定だったのです。山田監督は寅さんの本質を捉えられずに作品を作ったと思います。しかし思わぬ反響に連作連作と渥美が肝癌でなくなるまで48作続きました。僕は20万円のDVDには興味がありませんが、寅さんとは誰なのか事がこれからの人生の岐路に立つ時に大切な問いになると感じています。感動をもうひとつ。赤塚富士夫が亡くなったのでおそまつ君や天才バカボンの未公開本などが出ています。イヤミ先生がシェー!をする時に必ず挙げている左側の靴下が半脱げになっています。完成形です。パルテノン神殿に置かれても、メトロポリタンミュージアムに飾られても、全く不足はない。全ての手の曲がり具合、足の上げる位置、角度までこれほど完璧な物を目にすることは稀だと、赤塚はすごい、と今になって思いしらされました。で、イヤミ先生のシェー!は僕も幼少のみぎり、なぜか親にしかられながら日常生活の一部として取り入れていました。しかし、今、出町柳の京福の前でシェー!っとやろうとは思いません。シェー!はすごいけど僕の人生を変えることはありません(多分)。で、バカボンのパパはどうなのか、という問題に入りましょう。パパはちっともよくない状況下、「これでいいのだ。」で片付けます。最近ある人と話をしていて、「バカボンのパパの年齢って41なんですね」って言うので、「なんで」?と聞くと「歌詞の中に41歳の春だから♪、という歌があるじゃあないですか」、といわれショックを受けました。知らぬうちにバカボンのパパより8歳も歳をとってしまっていたのか・・・。「少年老いやすく学なりがたし。いわんやチューネンを於いておや」。
49歳の僕はまだ「これでいいのだ。」が満足に言えません。僕は命尽きる前までには「これでいいのだ。」が言えるようにならないとアカン、と考えるようでは「これでいいのだ」と、どんどん程遠くなる、というグルグルに陥ってしまいました。もう言うことがなくなったのでお仕舞いにします。ああ、くだらなかった。くたびれた。最後まで付き合ってくれた貴方(が居たら)、馬鹿話に付き合っていると感性が磨耗しますよ。のもち

lushlife さんのコメント...

すごい!ブログ本文より読み応えのあるコメントをありがとうございます。
コメントもらうと私も俄然又書く気が湧いてくるので嬉しいです。
感動・・・と言えば「水月亭」の蒸し豚は美味しい感動だったな~今度又機会があれば連れて行って下さい!お腹の脂肪はあと1キロ増えてしまうかも知れませんが頭の鉛は1キロ減るかも・・・!?

匿名 さんのコメント...

通りがかりの拙者が、たまたまこの日記に

立ち寄ったのは、歯槽膿漏の痛みと、風邪と、結石(大物)の痛みで、年休をとって、昨夜WEBで拾い読みした藤田まことさんの共演者のコメント”藤田さんは 人のたたづまいを教えてくれて、、、、”を探したためです。
 流石に役者は”人の生きザマ”などと品のなく手垢にまみれた表現ではなく、”人のたたづまいと”旨いこというものだ。と関心して、ぐぐった訳ですが、匿名さんのコメント中にありました。 また、この匿名さんの ”娘を与えられて”という表現からこの方の思量深さが伝わりました。 思わず書き込んだ次第。