「1Q84」に続いて村上春樹シリーズで「The Catcher in the Rye」を読んだ。これはサリンジャーの名作「ライ麦畑でつかまえて」を40年ぶりに村上春樹が再翻訳したものだ。
この本は主人公ホールデンが高校を退学させられてから家に戻るまでの3日間の出来事を綴った内要なのだが、淡々とその出来事が書かれている中に彼自身の人間性、性格、思考、何ともやるせない想いと何気に傷つけられる先生からの言葉、そして最後に彼を救うまだ幼い彼の妹の事が書かれている。
「結局世の中の全てがきにいらないのよ、気に入っている物一つでもあげてみなさいよ」とその妹に言われて答えるホールデンの答えは「だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子供達がいっぱい集まって何かのゲームをしている所を僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子供達が居るんだけど他には誰も居ない。つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子供がいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子供なんかがいたら、どっちからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうのになりたいんだ。かなりへんてこだとはわかっているんだけどね。」
16歳の青年にとって誤りの無い人生の目標を持つ人など殆ど存在しないのではないかと思う。その実に不確実な年齢の中で人は自分探しをしながら人生を見つけていく。歳を重ねる中でそんな迷った時期の事は忘れてしまうものだが、その真っ只中にあるホールデンの切りとられた3日間は人が忘れてしまいがちなある時期のある想いを思い出させてくれるのだろう。
40年たった今も、私の息子の担任の先生が彼に言いそうな事や彼の友達関係があまりにもリアルでオーバーラップしながら読んでしまった。16歳の息子はまさにライ麦畑に迷い込んでいる真っ只中、そして私もついでにミイラ取りがミイラになった様に迷子状態。
しかしその迷子の状態が実は結構苦しいながらも楽しい事、先の見えない不安感をフラフラと楽しんでいる自分も又いたりする。
先日、医者でありシンガーソングライターの藤村直樹さんと隣のレンタサイクル・カリオンの店長、芝山竜介さんのライブに行って来た。
藤村さんは3日と空けず来て下さる常連客の一人で、芝ちゃんはお隣さんなので毎日顔を合わす間柄ながら、ライブを聴きに行くのは初めて。
共になかなか味わいのある歌を聴かせてくれ、何だか懐かしい気分に浸った。
力強い歌声と険しい内要の歌詞の藤村さんとは対照的に芝ちゃんの歌は決して上手いとは言いがたいながらもその人間性がにじみ出ていて聴く人皆に笑顔がこぼれる。たまにはこんなのもいい。
そんな芝ちゃんの歌は彼が学生時代に作った歌と現在のレンタサイクルのテーマソングと称する歌にあまり違いが無い。それを聴きながら「この人もライ麦畑で迷子になって遊んでる一人なのかしら?」とふと感じた。
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