2011年5月7日土曜日

ekaya

知り合いのある一軒の家が今まさに潰されている。家の周りは足場とテントで覆われショベルカーで道路側の前半分は既に瓦礫と化している。
彼のおじいさんは有名な宮大工だったそうで、100個あったという造りつけの箪笥の引き出しや1つ10万円は下らないという襖の建具、床の間や工夫を凝らしたお庭など。素人が見てもその立派な品々が瓦礫の山になる瞬間。私にはそれは東北の震災と津波に飲み込まれていく家々を思わせる。
店への通勤経路上にあるこの家の解体はいやでもはぼ毎日見ることになり、時には夢の中にまで現れる。
当たり前の事だが家と言うのはそこに住む家族の生活があり、歴史がその中で生まれる。
その中には小さな社会がり、その家族でしか分からないしきたりやルールが生まれる。鍋の洗い方はどうするだとかこの季節には梅干を漬けたりだとかそんな些細な事柄から人の生死までを家は見守り支えている。

震災後の放射能汚染問題でその土地にとどまるか立ち去るか、福島やその他の近隣の人々は苦渋の選択を迫られている。住み慣れた土地に愛着は当然ありそこに根付いた生活を全て捨てて生きていくという事の悲痛な思い。しかしそれに勝るほどの放射能の恐怖。
いったい人間は何を求め、何をしているのだろう?考えれば考えるほど分からなくなる。

お客さんに蕨(わらび)をいただいた。灰が無かったので炭酸であく抜きした後かつおだしで炊いた。その翌日筍をいただき糠であく抜きをした後これから筍ご飯を炊き上げる予定。だれが考え出したのかこんな各々の料理方一つにも伝達されてきた日本の歴史がある。おいしくできれば先月福島から京都にやって来た友人に届けよう。春の香りと共に。